息子が塩竃に引っ越す予定だった日。
アパートで荷物を運び出してた時にそれが来ました。
立っていられないような揺さぶりにたまらず外に出ると、
野外の駐車場に置いてた車が激しく上下に揺れ動いていました。
一度は現地に向かおうと思ったけど、
信号は消えてるし、道路も渋滞で薦めなかったので、
諦めてアパートに戻りました。
2日間避難所に泊まったあと、
東北自動車道は使えないので山形経由で秋田に戻り、
申し訳ないけどほっとした事が思い出されます。
あれから13年。
息子が秋田に戻り、結婚したり、
僕も退職したりと、
色々まわりの状況は変わりました。
あの日塩竃に無理して向かってたら、
こんな生活は無かったのかもと、
ふと考えてしまう時があります。
記憶は風化していくけど、
それでも忘れてはいけないものがありますね。