仙台の息子の所に遊びに来ています。
7年前は彼が大学卒業を控えていて、
丁度その日は「引越し」を手伝う為に僕らも仙台に居たのでした。
そして2日ほど家族で大学に避難させて貰いました。
ガソリンスタンドが手動で使えるようになったと聞いて、
まだ不通だった「高速道路」ではなく、一般道で「山形回り」にて、
逃げるように仙台を出て行きました。
(結局ガソリンは秋田の湯沢まで入れる事が出来ませんでした)
延期になった「卒業式」は一年後に開催する事が出来たけど、
震災の際にきちんとお別れが出来無かった友人達の事が、
今でもとても気がかりだと息子は言います。
今日通ってきた通称「仙塩街道」も、
多くの流された車や瓦礫などが道を塞いでいました。
何度でも書きますが、あの当時「原発」が「再稼働」するなんて、
想像できた人が居たでしょうか?
震災から数ヶ月経ったある日、
「塩釜」で見つけた「午後2時46分」で止まったままの時計を
今でも思い出します。