1981年パキスタンへ移住して来て借りた民宿用の家の敷地は600坪、マルガラ丘陵の麓から500mばかりの最高級住宅地、軍の将官だった人の家だ。うち半分以上が広い庭になっていて、屋敷に近い場所に一抱えもあるマンゴーの大木があった。引っ越してきて直ぐに50過ぎがらみのオジサンともジイサマとも見える小柄な人がやって来て「庭師に雇って欲しい」と言う。庭の水撒きだけでも大変だと想い来てもらうことしたのだが・・来るたびにマンゴーの大木を愛し気に見上げ、時には撫ぜている・・
ある時、ジイサマが「実はこの土地には20数年も前に住んでいて、結婚した時、記念にこのマンゴーの木を植えたのです」と。若かった当時のオバハンには、そのジイサマの気持ちが十分に解ったとは言い難い。だが自分が老いて時間に余裕が出来て来ると、そうした「ジイサマの感傷も」が理解できるようになっている。広大なマルガラ丘陵の麓に首都の建設が開始になった1960年代初め、そのために従来からの住民は強制的に立ち退きをさせられ、さらにマルガラ丘陵の直下へと追い払われたのだ。
マンゴーは寒さには弱いが生命力の強い木だ、マンゴーの種をその辺へ捨てると必ず芽が出て来る。庭の隅に、道端に・・どこにでもマンゴーの木は芽を出し生えている。実が出来るまでには7~8年かかるらしいが、道端や庭の隅にあるマンゴーの幼い木などの注目する人は無く雑草扱い、大概が道路掃除の人や庭師によって惜しげもなく抜かれてお終いだ。