ママブロネタ「日々のできごと」からの投稿
こんばんわ、ひつじママです。
今日はMECや食の話ではありません、ご興味ない方はごめんなさい。無視して頂いていいのです。
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ハロウィーン(Helloween)の本当の意味をご存知でしょうか。子供たちが魔女や小悪魔、かぼちゃの妖怪に扮して、近所を周り「トリック・オア・トリート!(お菓子をくれないといたずらするぞ )と脅してお菓子を頂く、という子供向けイベント、という認識が世界に浸透しています。
しかし本来の意味は、カトリックに伝えられる、諸聖人の祝日(ハロウマス・Hallowmas、11月1日)の前夜(ハロウドイブ・Hallowed eve)という意味です。下記、関連記事の抄訳です。
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The Real Meaning of Halloween ハロウィーンの本当の意味
http://www.theepochtimes.com/n3/1049633-the-real-meaning-of-halloween/
ハロウマスは老賢母・クローンに敬意を示すという祭事として始まりました。この老賢母はいつしか「黒猫を共に、ほうきに乗り夜空を飛ぶ魔女」という話に変わりました。
子供たちがお菓子を求め歩く、というアイデアは、貧しい者がお金を求め歩くという英国の習慣から引用されました。
ケルト人にとって、10月31日のハロウィーンを「サンハイン」と呼び、収穫の夏の終焉と、11月1日の新年を祝うための大晦日にあたります。
Hallowedの意味は神聖。先祖に敬意を示すための聖なる時です。ラテンアメリカでは、ハロウィーンは墓地で祝います。祭壇に食物を捧げて先祖に感謝を述べます。
アイルランドやケルトではキリスト教伝来以前から、諸聖人の日の前の晩は「ハロウ・イブ(Hallow Eve)」と呼ばれ、精霊たちを祭る夜として伝わっていました。
ハロウィーンの本来の意味を知ったならば、老父母にお祝いのカードを送ったり、共に食事をするなどして「貴方を敬愛している(I love you)」という気持ちを伝えましょう。
もしお金や食べ物を集めてきたならば、それは不幸な人、貧しい人へ与えましょう。
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参考:悪霊の祭典 ハロウィン (Halloween) その起源 クリスチャンは関わるべきか?
http://blogs.yahoo.co.jp/hkpdq749/folder/431732.html
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いかがでしょうか。
子どもに妖怪とか骸骨とかの悪魔的な服装をさせることは私は嫌です。これから子供たちが幼稚園なりで、実際に滑稽な「ハロウィーン」行事に参加することになるのは、致し方ないことだと思います。教育機関に「やめて欲しい」と直訴はしませんし、世の流れと受け止めます。しかし内心、とても悲しくなります。
2つの点で、この出来事は悲しいです。
1,悪魔的な格好を、世の流れで天使である子ども達(自分の子供だけじゃなくて、他多くの子供達)がしなくてはならないこと
2,商業ビジネスに神話や宗教が利用されていること
もちろん、クリスマスもそうです。米国ではクリスマス商戦で4570億ドル(約48兆円)もの莫大なお金が動くのです。
米国では、「クリスマス不買運動」を推進する牧師さんがいらっしゃるそうです。短いですが興味深い動画です。(牧師が活動家になるのもどうかとは思いますが・・・)
参考:映画「イエスのショッピング~買い物やめろ教会の伝道」~(予告編)
http://www.youtube.com/watch?v=S0a_S7D7hvY
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宗教、というのはその性質的、絶対に歪みが生じてくるものです。
聖者が悟ったことを弟子に伝え、その弟子が又勝手に解釈を加えて、その弟子に伝え、その弟子がまた個人的な理解を加えて弟子に伝え、またその弟子が・・・と、このように、時代を経るにつれて、地域を渡るにつれて、どんどん聖者の悟りから遠ざかっていきます。
宗教は人間が作ったものです。神様が作ったわけでも、イエスがそのように命じたわけでも、ブッダが指示したわけでもありません。ただ人間が、考えや行動、カネ、権力をまとめやすく組織化するため教会や寺社を作ったのです。聖人は、ただ人に自身の悟りを説いただけです。
欧州ではキリスト教宗派争いが絶えませんでした。日本でも昔から、仏教の勢力争いで、寺の僧が一揆を起こしたりしています。中東の宗派間紛争は熾烈を極めています。
神様はそんな争いを望みません。人間の欲望や闘争心が信仰を歪め、過去の宗教戦争を生んだ、と私は考えています。
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上記のハロウィーンの話で、お気づきの方はいらっしゃるかもしれません。キリスト教も各国の神話も伝記も、だんだん時代が経ち、大陸や地域を渡って行くたびに、ごっちゃになっていきます。そのうち由来が何がなんだか、よくわからなくなります。
今のような不思議なハロウィーンになったのは、19世紀に移民がアメリカ大陸で同行事を祝うようになって以後のことです。アメリカが悪い、と言っているのではありません。時間が、物事を変化させていったのだと思います。
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欧州留学中、縁あって、クリスマス期間中にイタリアの牧師さんの家に数日滞在したことがあります。とても静かで神聖な夜でした。ろうそくに火を灯し、スープとパスタだけの質素な食事を皆で囲んで、会話を楽しみました。私はクリスチャンではありませんが、とてもありがたい経験をさせていただきました。
また別の国でも、キリスト教の祝日には賛美歌を聴きによく行っていました。イエスを称える教徒の気持ちは静かで、穏やかで、荘厳でした。聖なる時間を過ごさせていただきました。
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私も信教があります。形容が難しいですが、神様を信じています。そのため、ハロウィーンやクリスマスなど信仰に関する行事が滑稽なパーティになるのは悲しいことだと思います。
また、ちょっと流行りの数日間の「断食(だんじき)」という表現も良いことではないと思っています。断食とは、イスラム教、チベット密教などの仏教系の修道者が自己練磨に望む修練手法です。
人間の生理学的に、食事を抜くことは健康的で、「ちょっとした絶食」ということですね・・・。まあ・・・唯の表現の話ですが・・・。
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私は頭が固いのでしょうか。押し付けがましい言い方でしたでしょうか。不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。でも、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。
追記、11月23日予定のMEC東京講演、私は諸事情によりいけなくなってしまいました。行くと申し上げていたので、残念です。また別の機会に交流参加させていただきたいと思います。