あくまでも暗い話をするのではなく
今後どうするのかを書きたいと思います。
文句が言いたいのではなく
愚痴が言いたいのではなく
意見の一つである事は最初に言っておきます。
連日、虐待のニュースが報道されています。
個人的には虐待した容疑者達には
虐待と同じ事をして同じ思いをさせればと思うのですが
残念ながら裁判的には
衣食住が保証されちょっと自由が無いだけで
ある程度恵まれた環境下に数年監禁されるだけという
良い悪いは別として「人間」に優しいルールで終わりです。
児童相談所などはもっと権限を強化し
あとで「間違えました」でもいいから
まずは明らかに危ない子供に関しては
保護するという事を徹底してほしい。
それにしてもよく聞くのは
「昔は良かったのに今の時代には合わない」
という教育での話。
ひとつの例として「体罰」はまさにそう。
僕もそうでしたがよく聞くのは
「昔部活の顧問にどつかれた」
「学生時代担任にボコボコにされた」
でも、そこには僕自身「納得」がありました。
※もちろん理不尽な暴力もある。暴力を肯定するのではなく、今僕が話してるのは教育的に筋の通った指導的な話
僕の個人的な経験としては
高校時代担任にも部活の顧問にも
結構殴られ蹴られた。
でも全部愛を感じたし筋が通ってる。
自分の中で手を出された事に「納得」してるんです。
担任が亡くなった時、お通夜に行く為に
大阪から千葉へ飛んで帰り
翌日には仕事に戻った事もありました。
そのお通夜では一緒に行った同級生の中で
誰よりも泣いたことを覚えています。
同級生に「お前、特にボコボコにされてたもんなぁ」
と言われました。はい、そうです。
でも誰よりも特別に向き合ってもらってもいました。
自分の将来の事を誰よりも真剣に考えてくれて
「卒業させるだけが仕事じゃない、その後の人生まで考える」
そう言ってくれた事をずっと忘れていません。
今の即興書家としていられるのも
この担任の先生がいてくれたからこそ。
いや、何が言いたいのか。
体罰は美談を作るから必要!というわけではなく
体罰だけでなく、普段からでもずっと
「愛情」をもって「真剣」に向き合ってくれた
その「想い」が大事だという事なのです。
この時期になると
ありがたい事に
・学校の卒業卒園へのプレゼント
・クラブ活動、部活などの引退プレゼント
記念品として書き下ろしの作品をご依頼いただく事が増えます。
ご依頼者の気持ちを聞くと
「記念に残る、想いが伝わる、形にしたい」と様々。
その中でも特に多いお声が
「絶対喜んでくれるから」
もちろんここには
「考え方はそれぞれ、好き嫌いはある、必ずしも喜ぶとは限らない」
といったわかりきった当たり前な議論は置いといて。
僕も自分の作品が1億2千万人全員に喜ばれるなど
思ってもいないので割愛しますが。
先日ある学校で僕から感謝の気持ちをと思い
記念品として作品を書かせてほしいとお願いしました。
ありがたい事に担任の先生から
「それはきっと子供達は間違いなく喜ぶと思います」
と言っていただきました。
しかし、そのあと
「ですが・・・・あのですね、他のクラスとの不公平感が・・・」
と言われたので
ならば全クラス(約40名が6クラスなので240名ほどの書き下ろし)
やりましょうか?と言った所
「それと・・・・子供達は間違いなく喜びますが、保護者さんが何というか・・・」
と、言われました。
子供達が間違いなく喜ぶのに
なぜ保護者に気をつかい「やらない」と判断するのか。
もちろん、この言葉に対して
「どこに目を向けて仕事してんねん!」
と思う憤りも感じましたし先生にも言いました。
「そうなんですよね、個人的にも是非と言いたいのですが」
それでも問題が発生する「かも」しれない案件は
「やらない」という判断になるようです。
PTAをやってた時も多かった。
新しい方法や考えを意見しても
「例年はこうやるので」という言葉で
進まなかった事も多かった。
そりゃ新しい事をやる事
何かチャレンジする事は
大変であり、難しい事もあります。
ですが、見本となる我々「大人」が
そんなリスクヘッジの考え方でいいのでしょうか?
もし、子供達が何かにチャレンジする時
「こんな問題があるかもしれないからやめとけ」
「普通はこうやるからそのやり方はダメ」
と教えるのでしょうか?
100歩譲って難しいとか問題があるとしても
「間違いなく子供達が喜ぶ」事ならば
なぜやり方や方法を検討せずに
「やらない」と判断するのでしょうか。
ここで言いたいのは。
「今の教育者はダメ」という事ではなく
そんな風にさせてしまってる「原因」があるという事なのです。
それが我々「保護者」なのです。
保護者がわけのわからない事を言いだしたり
バカな事を言いだしてるから
先生方も委縮するのです。
こんな時代に先生をやるってのは
よっぽどの「ドM」か「熱意ある人」のどちらかですよ。
でもほとんどが後者の「熱意ある人」のはずです。
でもモンスターペアレントとかクレーマーが多いこの時代
先生方が空気を読んでリスクヘッジの考え方になるのは
当たり前な事かなと、思うのです。
「こんな声が多いからこうすべき」
という言葉をよく聞くけども
よく聞いたらその人達の声が大きいだけで
よくよく聞いたら少数派だった。なんて事も多いかと。
PTAの時もありましたが例として
ある委員さんから
「運動会のお昼ご飯は、子供達は教室で親は別で食べる」
という意見が出ました。
保護者からも多く聞くと言います。
熱中対策と言ってるけど僕には疑問がありました。
熱中対策をするなら運動会をやってる時間
常に日陰確保などの方が
もっと大事なわけで、お昼ご飯は
親とか友達と食べる食育の勉強の場でもあると。
「共働きで子供の運動会に来れない」とか
「シングルの親だから休めない場合子供がかわいそう」
そんな意見もあるかと思いますが
その対策は今に始まった訳ではなく
昔から学校サイドはちゃんと対応してくれているのです。
(ここで対応してない学校もあるという意見はあるかもですが、僕からしたらその対応しない学校が悪例なだけですべてがそんな学校ではない、むしろ対応している学校の方がよっぽど多いと思う)
運動会のお昼ご飯に関して
たまたま仕事でそのPTA会議に参加してなくて
では、今年はお昼ご飯を子供と親別々でという方向で
話は進みそうだと言うから
次の会議の時までに個人的ながら
保護者や子供達にアンケートを実施。
(個人的だったので全員ではないが)
すると9割の親御さんは「一緒に食べるべき」と答え。
そして主役である子供達は
6年生の男子一部と女子一部
5年生の男子一部だけが「別に別々でも構わない」と答え。
その他の子供達はほどんどが
「親と一緒に食べたい」「友達家族と食べたい」
となっていた。
これのどこが
保護者の多くの意見なのだろう?
アンケートを取っていると
「親と子別々で食べるべき」と答えた親御さんから
「だって中学校はそうだし、そうなればお弁当作らなくていいから楽」
という声がほとんどだった。
つまり「中学生以上の子がいる(小学校に通う子は末っ子などの)親は中学生の運動会で弁当を作る手間が省ける事を経験し、負担が減る事を知ってるのでお昼ご飯は別々にしてほしい」
という声になるようだった。
もちろん「別々にしてほしい」という意見の保護者が
全員そう言ってるというわけではないし
本気で色々考えての意見の人もいると思う。
が、声がでかいだけで少数派の意見を多数の意見とするのは
はたしてどうなのだろうか?
結局、次の会議で「本当に反対意見はないのか?」
と聞いたら「そりゃ一緒に食べられればいいと思う」という
意見が出てきて、話し合い、お昼ご飯は親子一緒に食べる事に。
いや、何が言いたいか。
皆さんの中にも思った人はいるかもですが。
「おいおい、話し合いの中心に子供がいないじゃないか」
という事なのですよ。
運動会とは学校の行事で、子供達の体育大会。
あくまでも教育上の一環であり
親向けの催し物ではないのであります。
親が楽かどうかではなく
親が子供と食べたいとかではなく
子供達の教育として何がいいか
を考えるべきなのですよ。
論点がいつも保護者向けになる気がする。
最近のニュースでも保護者から声が続出している
という取り上げ方をする時もあるが
どこまでを続出と言うのか。
声でかい数名の保護者がギャーギャー言えば
それが続出なのだろうか?
何か言いたい人ほど声はでかい。
何も言わないのはビビってるとかではなく
問題ないと思ってるから言わないだけ。
という事もある。
これはTVやCMのクレームも同じ。
最近「文句探し」みたいな。んでクレーム入れて
もし企業やTVが改善すれば「よし!やったった」と
自己満なだけな奴が多い気がする。
小学校の敷地や敷地から数メートルは禁煙
とルール上は、そうなってるが
運動会など保護者が集まる時には
喫煙者は増える。
その為、ポイ捨て防止や近所迷惑を避けるため
喫煙所を学校の敷地内ではなく
決められた数メートルもクリアした
近くの公民館に設置しようとすると
「学校の書面には記載できない」
「PTA判断で告知するのはいいが学校は無関係」
というお言葉を学校側からいただいた。
最初は「何言ってんの?」と思ったが
そもそも大人や保護者がルールを守っていれば
そんな告知もする必要もないのである。
学校側にも
「いや、それは敏感になりすぎだろ」という時もあるが
結構な割合でそもそもそんな考え方にしたのは
我々保護者である!という事は多い気がする。
学校側には
リスクヘッジの考え方では
チャレンジをしたらあかんと思ってしまう子がいたり
気をつかった接し方では
子供の中にはつけあがるバカが現れたりする。
自身の言葉以上に、普段の行動で子供達は学ぶ。
僕も親として見られてる事を意識しているが
先生方にも考えてもらいたい。
んで、声だけでかいバカや親にも言いたい。
あんま、調子に乗んな!と。
「お客様は神様」みたいな
「保護者は神様」みたいな考え方はやめた方がいい。
(そもそもこの「お客様は神様」の意味も間違った使い方のバカな客も増えた気もするが)
ここまで言って言うのもなんですが。
僕の知り合いの先生にはめちゃくちゃ熱くて
いつも子供達に真剣に向き合い
時には自己犠牲してまで子供達に
大切な事を伝えるような先生も
山ほどいてる。
そんな尊敬できるような先生も
今の時代では「変わった先生」と
思われたりもしてるみたい。
保護者にペコペコする先生が「いい先生」とか
生徒達にいじられたりする先生が「人気の先生」みたいな
そんな時代であり
怖い先生や熱い先生や厳しい先生は「問題のある先生」のようだ。
以前にもブログで書いたが
PTAの時代にある人から
「邪魔になる人は排除」のようなイジメまがいな事を
された事があるが、
自分達の行動を子供達は見てる。
そいつは自分の子が
「クラスで邪魔になるからはずす」事をされたら
きっと怒るのだろう。クレームを言うのだろう。
職場で「あなたは邪魔だから」と事前告知や報告も相談も無いまま
その案件からはずされたらめちゃくちゃ怒るのだろう。
でも「てめぇでやってる事を思い出せよ」と言いたい。
時代は変われど子供達はバカじゃない。
むしろバカなのは思いあがった我々大人であり
子供達から学ぶことは山ほどある。
だからこそ、いつも本気で向き合って
時には自分の「行動」で手本を見せていく。
そうすれば本当の意味で
子供達はそんな大人についていくと思う。
体罰をした先生を責める前に
何もできなかった児童相談所を責める前に
イジメを防げなかった学校を責める前に
自分達「大人」「保護者」「親」が
日頃からちゃんと向き合っていれば
結果が変わってる事も多いはず。
我々「親・保護者」が本気でやらなければ
学校も先生方も気をつかう関係にしかならない。
やり方は色々あっていい。
考え方も色々あっていい。
でも忘れてはいけないのは
「子供達への愛」である。
自分の利益や楽や手柄ばかり考えず
責任転換ばかりを考えず
本気で子供達の為に出来る事を考えてほしい。
ちなみに。
僕は断られたクラスに
やり方を変えて
子供達の記念に残るような作品を作る。
学校で出来ないのならば
外部から出来る事もある。
子供関連の事に関しては
大人の自分の笑顔よりも
「子供達の笑顔」を真剣に求めたい。
そうじゃないと子供達は大人の犠牲となり
今後の日本は支えてもらえない。
我々大人がまずは
我々保護者がまずは
我々親がまずは
成長しなければいけないだろう。
最後に。
先生も、行政も、親も大人も、
普段から一生懸命にやってる人は
たくさんいるという事は忘れないでほしい。
あくまでも一部の問題なのかもしれない。
けど、一部の責任にするのではなく
みんなで考えていかないと。
TADA