小6次女は良い成績をとると、彼女は「褒めて」「もっと褒めて」と甘えてきます。親としては、そんな娘の姿がとても愛おしいです。

しかし、ここで1つの懸念があります。成績が良いこと自体を褒めてしまうと、彼女が「地頭が良いこと」をアイデンティティとしてしまい、努力を怠ってしまうようになるのではないかという心配です。

 

実際、夫も中学受験が努力のピークで、中高時代は授業もロクに聞かずに過ごし、「一夜漬けでもそこそこの成績を取れるオレ」→「朝漬けでもなんとかなるオレ」→「電車漬けさえせずにノー勉でも留年はしないオレ」となってしまいました。

そのため、私たちは娘たちを褒めるときには成績そのものよりも、努力を褒めることを意識しています。しかし、努力を褒めること自体にもまた1つの懸念があります。努力して良い成績をとる娘だから愛しているかのようなシグナルを送ってしまうのではないかということです。

さらに、中学受験で成績が突出している場合、知的能力にアンバランスさが生じている可能性が高いことも悩みの種です。言語的・語学的知能や論理的・数学的知能が高いにもかかわらず、それを十分に活かすために必要な対人的・社会的知能が不足していると、生きづらさを感じることがあります。

 

我が家でも、中学受験で比較すると次女の成績は長女よりも突出していますが、言語的・語学的知能や論理的・数学的知能と対人的・社会的知能のバランスに関しては、次女よりも長女の方がとれているように感じます。

 

次女には、将来このアンバランスさによる生きづらさに直面することがあったとしても、力強くしなやかに乗り越えられるような人間になってほしいと常々思っています。

 

そのため、次女が良い成績をとると、もちろん誇らしく嬉しい気持ちもありますが、手放しで喜ぶことができず、なかなか褒め言葉がうまく思い浮かばない時もあります。また、良い成績が続くと、初めて良い成績をとった時と同じ熱量で表現するのが難しくなることもあります。


そこで、昨晩も次女から「褒めて」と言われたので、次女の成績をChat GPTに入力し、適切な褒め言葉を考えてもらい、ほぼそのまま読み上げました。

 

〇〇ちゃん、本当に素晴らしい成績をとったね!特に国語の成績は驚異的で、全体で3位に入るなんて本当にすごいよ。算数や社会もとても高い点数で、日頃の努力が実ったね。理科も一生懸命頑張って、全体的にとてもバランスのとれた素晴らしい結果だと思います。これからもその頑張りを続けて、もっともっと輝いてください。お父さんとお母さんはいつも応援しています!
 

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親としての葛藤は続きますが、娘たちの成長をこれからも見守っていきたいと思います。