ピンフリーデビューの思い出 vs鬼畜真鱈編 | タコスの麻雀ブログ

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20124月、ちょうど10年前の今頃の話

 

社会人1年目の4月、仙台から東京に出てきたオレはテンサンのフリーを打っていた。

何せ初任給も出ていなくて、金がない。仕事終わりにフリー行く生活をしつつ、金曜日にはカツカツの財布でテンゴを打っていた。4月の第3週の金曜日、自分の歓迎会のあとテンゴを打ったところ持ち前の爆運が炸裂しツモりあげの連続で15kくらい勝った。最高の気分で酒飲んで寝て、次の日起きてみるとめちゃくちゃ体調が悪かった。アガリ牌と同時にインフルエンザもツモりあげていたのだ。出社するわけにもいかないので、まる一週間休んで寝込んでそのままGWに突入した。新入社員がいきなり一週間も休むものだから、社内ではあいつ辞めるぞという噂が飛び交っていたらしい。

インフルも治ったGW2日目くらいだっただろうか、仙台時代に毎週麻雀を打っていた真鱈先生が東京に来ているという。そういえば初任給が入って、銀行口座は学生時代では考えられないホクホクの状態に仕上がっている。気がつけば、麻雀打ちたさがオレの全身にみなぎっていた。

 

学生時代、テンサンの麻雀は数えきれないほど打ってきたが、ピンの麻雀というのは4半荘しか打ったことがなかった。大学3年の冬、ピン東南のセット4本で25k負けてもう二度と打つものかと固く心に誓ったオレだが、GWの開放感と、財布に余裕がある全能感が、オレを思い切らせる。

 

そろそろ、いいよな?

 

ピンフリーデビューしちゃって、いいよな???

 

というか、雀士たるものいつまでもテンゴでやっているわけにもいかんだろう。思えば麻雀始めた頃から、高いレートの麻雀に対する憧れのようなものはずっとあった。鈴木たろうが「フリーで食え!」という記事でピン東風の実践譜をあーだこーだ書いていたし、福地先生はマンションでデカデカピンのビンタのなんとかみたいな麻雀を打っていた。オレも早く、そっちの世界に近づきたい。

 

麻雀王国かなんかで検索したら、ちょうどその日は堀内プロ(当時連盟)が大宮のソフトピンの店でゲストをやっているという。比嘉さんがROSSO(渋谷のピン東の店)でゲストやっているという情報もあるが、ピン東風でピンフリーデビューというのはちょっとありえないだろう。そうだ、真鱈先生を誘って大宮ソフトピンに行こう。それが一番マイルドかつ円滑なピンフリーデビューとなることだろう。

 

とはいえ、心臓はバクバクしていた。真鱈先生が行くと言ったらもう引き返せない。いいのかオレ?本当にピン打っていいのか?

いや、いいんだ、大人の仲間入りをするんだ。オレは今日一皮剥けるんだ、ピンフリー童貞を卒業するんだ!!!!!!!メジャーリーグデビューを果たす大谷翔平のような高揚感でオレは真鱈先生に電話をかけた。

 

「ま、真鱈先生、大宮のソフトピンの雀荘で堀内さんがゲストやってるらしいんすけど、ヒマだったら行きませんか?」

 

社会人になったオレは今、真鱈先生をピンの麻雀に誘っている。ピンフリー、いい響きだ。麻雀打ちとして新たなステージへの挑戦。大人の遊び。期待と不安に心を膨らませ、何なら少し勃起した状態でオレは真鱈先生の返事を待った。

 

しかし電話口の真鱈先生はなぜか爆笑している。そして次の瞬間、思いもよらない言葉をかけてきた。

「タコスお前まじかwwwお前今日は比嘉さんがゲストだぞ、大宮のソフトピンなんて行ってる場合じゃねえだろww

「初任給出たんだろ、ROSSOで東風打つぞタコス」

 

「お前、ひよってるだろ??ww」

 

 

 

 

き、鬼畜すぎる

勇気を振り絞った童貞の誘いを嘲笑う女のごとく、とんでもない提案がなされた。オレは大谷翔平から、童貞に成り下がった。それも、男と電話しながら半勃起している、不審極まりない童貞に。

ひよってるだ何だと言われようが、ピン東風は無理だよ、真鱈先生。オレは毅然とした態度で言い放った。

「……い、行きます」

 

次回

「vs天鳳位、地和炸裂編」