元旦から地震で始まり、翌日の飛行機事故、被災されたかた、ご家族、少しでも早く穏やかな日がきますように。
これは話すべきではないかもしれません。
苦手な方はこの後は見ないようお願いします。
東日本大震災の時、次女は小学校にいました。
長女と長男は友達の家でした。
ヤツも私も仕事中。
私はその頃、とある店舗で、店長不在のなか、私がその代わりを担う立場だったため、お客様の誘導、従業員の安全、声かけ、とにかく無我夢中で、家族は二の次になってしまいました。
頭に落ちてきたのも痛いとは言えず、停電、電話も通じず、上からの指示も得られず、とりあえず揺れが収まってからお客様に一時閉店をお知らせして、従業員を集め、散らばってしまったものを片付けました。
何度も揺れ、私が不安を顔に表せば他の人たちも不安になってしまうと思い、励まし続けました。
1人が帰りたい、家が心配、子どもが心配と言い出し、本来なら権限はないけれど、数人に残ってもらい帰宅させました。
店内外を見回り、ふと気づいたんです。周りは電気付いてる…
配電盤を見に行くと、漏電遮断器が落ちていることに気づきました。
電気を復旧させ、その頃やっと、本社に電話が通じ、帰宅をする事になりました。
車を走らせている最中にも走っていてもわかるほどの余震がきて、怖かった。
自宅に戻ると、父が次女を小学校まで迎えに行ってくれていて、私を見るなり泣き出しました。
怖くて、怖くて、周りの子は泣いているけど、次女は泣くことはなく、みんなが迎えにきて帰るのを見ながら、とうとう最後になり、ずっと震えていたんでしょう。
父も仕事場が近かったため、すぐ帰り、私が迎えに行けないのを察して行ってくれました。
心細くて、怖くて、泣いてる子を宥めて、待っていた。がんばった。ギュッと抱きしめて目一杯褒めた。
未だにあの時の怖さと寂しさは忘れられないそうです。
地震がある度に部屋に飛んできて抱きつきます。
すぐに帰れなくてごめんね。
次女は今回は彼氏と一緒でした。
我が家よりも揺れは大きかったようです。
能登のニュースもまともには見られません。
関東にいても、次女はこれだけの心の傷をおってしまいました。
長女はマンションの20階くらいにいたため、長く揺れが続いたそうです。
長男は友達の弟を倒れてきたタンスから守ったそうです。
私の友人は宮城県にいます。1週間連絡が取れませんでしたが、津波に家は流されたものの、逃げて無事でした。
被災された方々も、飛行機事故に遭われたかたも、これからずっと苦しみが続くかもしれません。
どうか、どうか、平穏な日が来ますように。
海保の亡くなられた方、震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。