この曲は、試聴会で初めて聴いた時、ダントツで一番好き!すごいカッコイイ!って思いました。重低音のギターリフがどストレートで最高だし、続くメロディも耳心地が良くノリノリで、自然と楽しくなってくる、なんだか身体まで軽くなるような。そして、すごいなぁと思って聴いていたら途中で曲がガラッと変調する、しかもどうやら最後の最後まで変調して終わったぞ。なんだこの曲は!?すごいな!うん、確かにすごいけど、1回や2回聴いたくらいで理解できる曲じゃないかもなー、と思ったのを思い出します。


今、もう相当な回数を聴いた今、改めて曲の感想を言うなれば「一周回って好き、かな」です。

なんか、CDでじっくり聴けば聴くほど、あれれ?なんなのかな?って。好きと思ってたけど何がなんだかよく分からないなぁって思いました。初めて聴いた時あんなにカッコイイと思ったのに、私的になんか盛り上がりきれない。なんでだろう?って。で、それこそ音楽理論なんて知らんけど、この曲はメロディが全部下がりで終わるじゃないですか。洋平くんの作るメロディでは珍しいんじゃないかな?いっこもふわぁーっと上がっていくメロディがないやん?だからかな、って。
もう洋平くんの作る、気持ちのいいサビがある曲に慣れてしまったのかも?
だからなんとなく、それがないと物足りなく思てしまうのかも。

ただやっぱり、歌詞を見ながら聴くと、ところどころ、たまらなくはなる。
特に、

「ここはどこですか?
私は誰ですか?
And nothing is better sing "city"」

ここすごい好き。

やっぱり、多少なりともこの歌の背景の一部、つまりはドロスがどうやって今までここまでやってきたか、を知っている分、感情移入してしまいますよね。

同じ理由で、前のアルバムで言うなら、Booよりもワンテンポが好きなんです。歌詞に[Alexandros]って出てくるのも。
そういえば城ホールではワンテンポが聴けなかったのが少し残念だったなぁ。

あと、サトチンが言ってたとおり、いつにも増して英語と日本語の境い目がない(こんな言い方じゃなかったかもだけど)のがすごいと思う。いつ日本語になっていつ英語に戻ってるのか、そもそもふたつの言語で歌ってることすら気にも止めないくらい自然に行き来してる、のね、ほんとに。
どの歌もそうだと思います。ドロスは。
でも、
「さぁ、どんなNightmare is waiting?」
のところは、今までにあまりない感じの、混ざり具合よな?と、息子が言ってました。
そうなのかなぁ?
どう違うのかなぁ?
息子はたまに、私が気づいてないようなことをホッと言うてきてハッとします。
たまに外野の意見を聞くのもいいですね。あ、外野ってか、息子もドロスめっちゃ好きで1stからの全曲を聴いてくれてるんですけどね。城ホールも一緒に行ったし今度の大阪も楽しみにしてくれてます。
ちなみに息子は、EXIST!では既存曲以外だと「Aoyama」が一番好きだそうです。
KaijuとClawとBuzz Off!!とクソッタレ の中やったらどんな順番?て聞いたら、
「Kaijuが一番で、あとは同じくらい」だそうです。

話がそれましたが、いっこだけ文句(て、いつも文句いっぱい言うてますよね、ごめんなさい)言うなら、
「じいちゃんになっても歌おう」まではいいけどその後の台詞やめて、って思った。
みなまで言わなくても、って思ったのもあるし、個人的に現実的過ぎて嫌でした。
まあ、別にいいけどね、うん、全然いい。てかね、歌詞に文句つけたのは初めてかと思います。
でもほんと、大した文句でもないし、忘れて下さい(最近洋平くんがよく言うから真似してみた( ^ω^ )



ここからは私事になると思います。
今、少し、ホッとしています。
母の、腫瘍マーカーの数値が下がっていました。前回、かなり上がっていたので、今回も上がっているようなら、治療法を追加されたりするのかな、抗がん剤投与とかされたら身体が弱ってしまって終末期が来るのかなって、受診日が怖くて。
でも、嬉しいことに、数値が下がっていて、体調も特に大きな症状もないからと、診察も10分で終わって、また今度は2月に来て下さいと言って頂きました。

母が乳がんに罹っていると分かってから3度目の12月です。12月は嫌い。いろんなことを思い出すから。
2014年の12月は、本当に、文字通り震えてました。母が死んだらどうしようって。夜、布団に入っても身体が震えて寝られないっていう、初めての体験をしました。体重も激減した。

乳がん。なんで母が? 私と弟を産んだ後、弟が1歳の時に夫(私の父)を亡くし、苦労して苦労して女手ひとつで私と弟を育ててくれた母。
その後も、ただただ子どものためにと、夫亡き後の家で義両親と同居して辛抱に辛抱を重ね私と弟を育ててくれた母がなぜ?って。

この2年間、いろんなことがあった。でも、一番嬉しいのは、乳がんが、悪さをしないでおとなしくしてくれてることです。見つかった時には骨に転移していて、もう手術すら出来ない、完治も望めない、余命は…なんて話をいきなり聞かされて本当に目の前が真っ暗になったけど、いろいろ、大変なことやつらいことや、腹立つこと悲しいこと、いっぱいありながら、母がとりあえず、まあまあ明るく日々過ごしてくれてることが一番有り難いです。
そりゃ、今年の初めに、圧迫骨折をして以来、自力で歩けなくなって、リハビリも続けているけど大きな改善もなく、私の介助がなければトイレにも行けないし、起きる時は必ず腰ベルトを付けてあげないといけないし、歩くのも歩行器が要るし、不自由な生活です。
もっと足に力がついて、自分で歩けたらいいのだけど、さりとて、無理をしてこけたりしたら今度こそもう寝たきりになってしまうかもしれない、と思うと、絶対に無理はさせれません。
お風呂大好きな母ですが、今は自分の好きな熱めのお風呂に浸かることも出来ず、訪問入浴の方々にお世話になって、寝たままの姿勢でボートみたいな湯船に入れてもらっています。

我慢我慢の連続だと思うんです。いや、そりゃお世話になってること自体は本当に感謝で、どの介護サービスにも本当に日々感謝で、親切で優しい皆さんばかりで本当に嬉しく有り難いです。頭が上がりません。
でも、やっぱり、自由じゃない身体ということには、母自身が一番情けなく、悲しく、何事も我慢我慢我慢していると思うんです。

私だって同じです。
ずっと、我慢我慢我慢、気を使い、神経休まらず、心配しながら、いろんなことを我慢。

ドロスのライブに行けなかったとか言ってるんじゃないですよ。そんなことよりもっと、日常的連続的な我慢です。
思いやりのない夫への我慢、これは、また思い出すのも嫌なのですが、乳がんって分かった時の反応と旅行のキャンセルを渋られたこと、及び私の仕事と息子の大事な時期であることを軽んじてあまりに能天気かつ許し難い無神経発言をしたこと。
ずっと怒ってました。怒ってたし、翻弄されてた。
私が一生懸命、頑張ってきたこと、それを分かってくれてなかったのかと愕然としたし、許せないと思った。でも、母が乳がん、息子も大事な時期、喧嘩なんてしてる場合じゃないしする気力もない。だから我慢した。

また、意地悪な友人は言った。
「そんなに腹立つなら離婚すればいいじゃん。離婚しないのは生活のためでしょ?結局はなんだかんだ言ってもご主人に養ってもらっての生活なんだよ」

は?何も知らずによく言うよね。
私がいつ丸々養ってもらったっけなぁ?
私もずっと働いて、逆に夫の個人的な借金まで払ってあげたし、仕事を変えたり、リストラされたり、いい歳こいて何回も会社を辞める夫を何ひとつ文句も言わずに支えてる天使のような妻なんだけど?



でもこっちはそいつみたいにお暇ではないし喧嘩する時間も気力もないから、「そうですね」で終わっといた。

経験上、アホには勝てない。
そして、アホにまともな話を理解させようとしても無駄だ。これも多々経験上。
でも、何もなければ、母が病気じゃなければ、少しは言い返してやっただろう。
でも我慢した。
やっぱり不自由、がんじがらめだと思った。


ただでさえ、つらいのに。乳がんに罹って怖くて不安でいろいろ不自由で重苦しくて、何より傷ついているのに。

ほんと、クソッタレだ。
ほんと、「クソッタレな奴は」だ。

いろんな感情の中で、怒りというのは一番パワーがあるし、溜まったり、溜めすぎると爆発したり、あらぬ方向に噴出してしまったり、するのだろうけど、怒りの元にあるのは、悲しみだと思うんだ。


悲しいから怒るんだ。
寂しいから怒ることもある。
そんなの当たり前の話かな。


母が乳がんに罹って、いろんなことを我慢し、また、あきらめてきた。
仕方ない。今は仕方ないって。
頑張らなきゃって。
でも頑張ってどうにかなることではなくて、それが一番苦しかった。

がんに勝つ食事とか、心の持ちようとか、家族のサポートとか、14冊もの本を読んだ。とにかく、がんには勝たなくてはいけない、勝つにはどうすればいいのかって。

でも、ステージ4で手術も出来ない、年齢的にも治療データが少ないなど、八方ふさがりな現実に、どう立ち向かえば勝てるの?本当に勝てるの? いつまで闘えばいいの? 

時に、もう頑張れない、勝つなんて無理だ、負けてもいいからもうこんなつらい日々から早く抜け出したいと思ったこともある。
母のことだけならまだいいけど、私にはもう片方の肩にも重さがあったから。
つぶれそうだった。


夫も支えてはくれない。
友達といっても、みなそれぞれに自分のことで精一杯だし。
人を間違えて愚痴を言えば、えらい目に遭うしね。


なんなんだ。どいつもこいつも。都合のいい時だけ人を利用しやがって。
人が一番大変な時に、気持ちに寄り添うどころかよくそんなえげつないこと言えたもんだな。
ずっと腹が立っていた。
怒っていた。
怒るのにも疲れた。
そして気づいた。
本当は悲しいのだと。悲しいから、泣くのが嫌だから怒っているのだと。(いや実際ずいぶん泣いたけれども。それでも足りないから怒っていたのだと。)

悲しみは積もった。
悔しかった。
誰も信じない、もう、誰も必要ない。

でも、本当はとても寂しかった。
だからドロスの、洋平くんの音にどハマりしたんだろうな。
いつか誰かがブログで書いていた。
ドロスを聴く人って何か悔しかったり苦しかったりしながら必死で頑張ってる人が多いんじゃないかな みたいなこと。
まさにドンピシャでそのとおりだと思う。


何かやっぱり、呼応して出会うんだと思う。
人も音楽も、それだけじゃく小説や映画や絵も、なにもかも。動物だってそうだよ。
そしてその出会いも別れも、ものすごいものを教えてくれるんだ。

先週日曜日、夫がまたやらかして、私は気分最悪で、でも、子どもがめっちゃうまく取りなしてくれて、あぁ、私のほうが子どもだって思ったりして、でも、モヤモヤ収まらないからもう今日は晩ご飯作らない!何か買ってきて!って言って夫に買ってきてもらうことにして、時間が出来たからまた城ホールのDVD観たの。子どもと一緒に。
一瞬で、とはいかないけどしばらくして気分は上々になった。


(なんか、夫の悪口ばかり言ってるようなのでちょっと擁護しときますが、夫は確かに無神経で思いやりに欠けるところはあるけど、私がちゃんと話せば自分の非を認めてくれるし、先に書いた、許し難い発言も「僕もあの時はいろいろあって気持ち的に正常じゃなかったんだ」と言ってくれたし、優しいところもあるんです。なんにせよ、もう長いこと一緒に居てお互いのこと嫌というほど分かってるし、いくら喧嘩したって何より大事な子どものためにという生きがいが共通だからまた仲直りできてるんだな、これが)

ずいぶん長々になってしまいました。
読んでくださった方ありがとうございます。

SNOW SOUNDに心の大部分染まりながら、こないだのFNSのドロスのかっこよさやっぱり群抜いてる思いながら、昨日のインスタの洋平くんに心持ってかれてちょっと無駄に動揺しながら、次回は、BUMPの記事を書くつもりです。
うまく、出会いから話つなごう思ったんですがつながらんかったので唐突ですが、新曲配信されて聞かしてもらってから、書こうかなと思います。
ドロスに出会えたのもBUMPのおかげです。私は恩を忘れるような人間ではないです。