大阪市の中心部は、ことごとく一方通行の道路ばかりです。

 

たとえば、心斎橋付近の目抜き通りとして南北を結ぶ「御堂筋」は、6車線もある幹線道路でありながら一方通行で、すべての車が南から北に向かっています。

 

御堂筋は、もともとは双方向進行でした。

 

転機をもたらしたのは、1970年に日本が経済成長ぶりを世界に示す目的で開催した大坂万博です。

 

この一大イベントを前にして、大阪市は交通渋滞と事故防止のために、御堂筋をはじめ四つ橋筋、堺筋、松屋町筋といった幹線道路を一方通行にしたのです。

 

これにより、それまでかなり激しかった交通渋滞が緩和され、事故件数も減少しました。

 

ところが、御堂筋などの幹線道路を通る車が横道に逃げて走行しはじめたため、路地裏の通学路を通る小学生などが危険にさらされることになりました。

 

そこで、大阪府は安全確保に尽力し、主要道路に加え、その周辺の横道まで一方通行にしました。

 

大坂の一方通行には、こうした歴史があったのです。

 

歴史を振り返ってみると、豊臣秀吉が大阪城を築いたころ、城から南北に延びる道路を、大名が通る際には一方通行が実施されました。

 

大坂は昔から一方通行と縁の深い町だったのかもしれません。