新撰組 といえば、近藤勇、土方歳三、沖田総司などなど、現代でもとても人気がありますね
そんな新撰組も、当時は脱退する者も多くいたようです。
原田左之助という槍の名手も、新撰組から脱退した人物。
彼は、新撰組の前身である江戸の試衛館道場以来の近藤勇の同志です。
ところが、1868年の甲州勝沼の戦いをきっかけに、近藤勇と意見が対立し、近藤の元を去りました。
そして、靖共隊という組織をつくりますが、そこも脱退してしまいます。
単独で上野の彰義隊に参加するのですが、戦いで重傷を負いその2日後にはなくなってしまいました。
そんな原田にも生存説なるものが存在します。
なんとか生き延びた原田ですが、日本を離れ、一人で満州大陸へ渡り、現地の馬賊へ加わったというのです。
槍の名手だったということもあり、馬賊においても大活躍だったとか。
そして、頭角を現していきついには頭目の座にまでのし上がっていきましたとさ。
日清戦争、日露戦争のときには、日本軍を後方から支援したともいわれ、1907年頃一度だけ日本に帰国し、再び大陸へ戻って行った。
正直歴史にはあまり詳しくないのですが、坂本龍馬暗殺の嫌疑をかけられたりもした、けっこう有名な人なんですね。