先日小学生の女の子が父親に恫喝され虐待され亡くなったという、またも残念な話があったのだけれど、ふと自分がどう育てられたか思い出した。
まだ千葉に引っ越す前だから、恐らく4〜5歳の頃から始まったんだと思うんだけど、毎週末の夜は酷かった。
父は広告代理店に勤めており、ほぼ毎日午前様。幼稚園にも入ってなかったので、ほぼ妹と母との生活だった。回りの子が幼稚園とか小学校から帰ってくれば友達はいっぱいいたんだけど。
週末、母は父にうちら兄妹がどうだったか報告する。
軽いところだと「ピーマン食べない」とか。そうすると土曜の献立はこれでもかというくらいピーマンが出て来る。これはもう何も言わずに食べるしかない。
全部食べ終わらないと食卓を離れられないから。
まあおかげで食の好き嫌いは無くなったけど。
これが別の話になると違う。例えば一度俺が片さなかったクレヨンで妹が巨大な「壁画」を描いてしまった。
賃貸マンションだったから一大事だ。
もう寝ている二人を起こして父は恫喝する。酒飲んでいるし、そもそもこっちは幼児なので論理的な思考なんて出来ない。
父が酒を飲みながら二人をパジャマ姿で直立不動にさせて夜中まで文句を言い続ける。
自分が眠くなるか気が済むまで延々と続く。
これは千葉に越しても続いた。我々も成長したので多少は父の言いたいことが分かるようになったが、それでも父は酔っているので時々支離滅裂になる。
そこにちょっとでも「話が違う」とか言うと火に油。就眠時間が遠のくだけだ。
大変だったのは中学に上がるに際して、俺が「制服は嫌だから県立の中学を受けたい」と言った時だ。他にも同じ中学を受けたいという友達もいたのでその旨を伝えたのだが。
何か問題集一冊買い渡したまんま興味がなかったらしい。受験は図画もあるので藝大出の父に指導を仰いだがなしのつぶて。
おまけにある晩睡眠中に起こされて「何で受験するんだか言え!」と。
「制服は嫌だから」と言うと「何で制服が嫌なんだ?」と来る。色々答えながら早く寝られる方向に持って行こうとしても、「で、何でだ?」と振り出しに戻る。あの晩は最悪だった。
まあ中学受験はテストの前にガラガラポンがあって、見事にそこで蹴られるんだけど(笑)
で、普通に市立の中学校に入って、それからは同居していた祖父の体調が悪化したせいもありそういう恫喝的な物は減ったのだけれど、次はまた厄介な事を始めた。
都合が悪くなるとだんまりを貫くのだ。一月とか平気で何も言わない。
こっちは一応質問はするんだけど、うんともすんとも一切返してこない。
父が不倫していた時は母が自殺未遂まで起こしたりで自分の分が悪くなると余計にだんまりを貫いた。
母が病院から戻ってギブスで肩を固められていたのを見てただ一言「ふん、大げさな」と。
その時父は自分の酒の肴を調理していたんだけど、その一言を聞いた俺はキレて、台所で包丁手にした父に「今の謝れ!」と叫んだ。
あそこで刺されててもおかしくなかった。
その後も高校受験とか大学受験とか、そこは結果について恫喝されたけど、流石にこっちも大人になってきたから右から左に聞き流そうとしていた。
ただ、社会人になってから部下が付いたりした時に恫喝までは行かないけど、叱咤激励を超える発言をする自分が居た。逆に強い上司には何を言われても逆らえなかった。思い返せば俺も同じになってしまった。
人は一人では成長出来ない。家族という小さな集団から、学校、会社と、健全なコミュニケーションが出来てこそ次のステージに繋がると思う。
力の暴力は絶対にあってはならないけど、今回の小学生の女の子のように恫喝によって萎縮して、命を落としてしまうような事もあってはならない。
今回は関係者の連携不足と言うことも指摘されているけれど、根本は家庭内での健全なコミュニケーションではなかろうか。
って訳で、こういう育ち方をしたんで子供は作りません。育てる自信ないし。みんな頑張ってるなあと思う次第です。