足が痛くて眠剤飲んでも眠れないので小ネタ。

バンドってのは厄介なもので。

まだ学生の頃は学祭とかで演奏するワンオフな感じで人を集めてたから1ステージ演ったら自然解散だし、それでよかった。その後も友人関係は良好だったし。今でもね。

社会に出てもバンド活動は続けてた。伝説の「殿下マニア」の掲示板でメンバーを集め、そんな話があちこちに伝わり、一度もリハーサルしていないのにライブのオファーが来た。
プリンスのカバーバンド InteractiveExperienceの始まりだ。
今では考えられないくらいのピッチでリハーサルして、最終的に東京と大阪で大小含め4回ほどステージに上がった。

恐らく最後のステージだった1999年の大阪のライブは、カメラを回してもらったおかげでYouTubeにも上がってるし、実に評判が良く、今でも勿体ないくらいのコメントをいただいている。
この動画のコメを読んで頂ければ分かると思う。

その後、方向性をカバーからオリジナルに変更して若干のメンバーチェンジをしてYellow Houseとして活動を始める。これが間違いだった。
曲を作る人間が同じバンドに二人。歌詞やメロディはボーカルの子に任せてた。

ビートルズもストーンズもクレジットはメインの二人になっている。うちらもそんな感じだと思ったけど、徐々に曲が増えていくにつれ衝突も比例的に増えていった。
「この間の俺の曲だけど」とか言うと、相方が「それお前の曲じゃねーし」とか明け方まで延々とメールで散々喧嘩するのは当たり前。もう、どっちかが降りるしか手段がなかった。

それでもステージに上がれば大受けだった。
出演後ハコからは毎日のように次のライブの依頼が携帯にかかってくるし、あの時点では大成功だった。

小ネタのつもりが長くなりそうで、かつ個人的な悪口を書きそう(ってか最終的には書かざるを得ないのだけど)なので、今日はここまで。