手術を受ける病院での診察から帰宅後、母と2人で外食に出掛けました。

帰りにイオンで買い物をして、駐車場を歩いていた時、母が車止めにつまづいて転倒、顔と膝を思い切り打ってしまいましたガーン


すぐに病院に連れて行って、診察してもらったところ、膝のお皿が割れてるとのこと……。

松葉杖を借りて、母の不自由な日々が始まりました。母の介護は父に頼み、仕事に出掛けていました。


そして、次の日。

会社にから営業に出かけて打ち合わせの最中に、東日本大震災が発生しました。

お客様は鉄道関連の会社だったので、打ち合わせは中止、お客様の会社を出ました。


地下鉄の駅の出口から近いお客様だったのでコートも持たずに出かけたのですが、会社にもどれなくなり、寒さに耐えられずユニクロに行ってみましたが、閉店してる🥲

ドン・キホーテも……。仕方なく使い捨てカイロを大量に貼り付けてしのぎ、その後、何とか開いていたスポーツ店でダウンコートを買うことが出来ました。


私の両親は東北出身なので、電話が繋がらないなか福島の叔母にようやく繋がり確認が取れました。

当日は帰れず、ネットでビジネスホテルを探しまくってようやく取れた所に一泊しました。


入院した病院の系列病院が東北にもあり、こんな状態で、被災地支援で病院の先生や看護師さん達も私なんかの手術どころではないのでは?と思い、手術までの日々を過ごし、思い切って病院へ電話してみました。


手術延期、と言われるかな?と思っていましたが、何と予定通り手術して下さると言われ、手術前々日の3月29日に入院しました。




通院していた大学病院では、様々な理由でなかなか手術まで進まずに、利尿剤を飲み続けて経過観察をしていましたが、2011年のある日突然、主治医である教授からケータイに電話を頂きました。

先生曰く、「系列の病院の先生にあなたの話をしたら、腹腔鏡下で手術したいと言ってくれてるけど、どうする?退院したら、また継続して私が診ますよ」と。

いきなりの、知らない病院での手術に不安があったのですが、「信頼出来る腕のいい先生だし、手術の日は私も立ち会うよ」と教授に言っていただいたので、思い切ってそちらの病院で手術を受けることにしました。


手術を受けた病院は都内にあるのですが、「まずは検査を受けて来て」と言われ、ドキドキしながら病院へ。

大きな、立派な病院でした。

2011年なので、コロナのはるかに前なのですが、なかなかセキュリティの厳しい病院で、診察券を既に持っているか、紹介状が無いと入れませんでした。(もちろん私は紹介状持参)セキュリティが厳しいからか、大きな病院なのに外来患者は多くなく、スムーズに診察を受けられました。


ここで初めて手術をしてくださる先生と対面。3月上旬に行きましたが、月末に手術することが決まりました。

先生は、メガネを掛けた優しそうな先生。

診察の後、看護師さんから入院の説明等を、受けてお会計をして帰宅。


ここから手術に向けてドタバタが始まりました。





私の会社では、福利厚生がポイント制になっていて、希望すれば毎年人間ドックを自己負担無く受けられますので、毎年、極力同じ病院での人間ドックを受診しています。

ある年の人間ドックの超音波検査で肝臓に嚢胞がある事が指摘されました。


その時は、まだ経過観察、でしたが、だんだんと嚢胞の数も大きさも増えていき、ついに「要精密検査」となったため、子供の頃からずっとお世話になっていた近所のクリニックを受診し、最寄りの大学病院(子宮筋腫の動脈塞栓術を受けた病院)へ紹介されました。


ここの大学病院の肝胆膵外科の教授が診て下さっていて、とりあえず腹水を減らす為にラシックスとアルダクトンを処方され、毎日服用していました。

嚢胞の増大と共に、だんだんとお腹が出て来ましたショボーン

当時の私は、🎾テニスや🏌️ゴルフ、ジム通いなど積極的にスポーツを楽しんでいましたが、会社のゴルフコンペの時に、「そろそろゴルフお休みしたら?」と妊婦さんと勘違いされて言われる位、お腹が前に出て来ました。


開窓術での手術を希望していたのですが、なかなか手術室の予約が取れないこと(もっと命に関わる緊急度の高い患者さんが多かった)、あとは余りにも嚢胞が多すぎて手術し辛いと言われ、移植しか無いかも?と言われたまま、その病院では移植を行なっていなかった事もあり、経過観察が続いていました。