2026年7月末、僕は関空よりのBKK行きエアアジアに搭乗した。
今回は1日だけBKKの取引先で仕事をこなした後に親しくしてもらっているCHAIYANとチェンライ週末旅をする事になっているのだ。
これまで数限りなく訪れてきたタイにてさまざまなローカル街を放浪してきたのだがタイ最北端にあるチェンライは初めての地である。
昔はこの辺りはゴールデントライアングルと呼ばれミャンマーとラオスとタイの国境にして阿片(アヘン)の生産密輸地として有名だったエリアである。
そもそも我々日本人には陸の国境というものが存在せず、その壁か金網かわからないがその空間の境が如何なるものか以前から興味深いものがある。かつてはベトナムとカンボジアの国境を陸路で越えた事が一度あるだけだ。因みにEU圏内は国境という概念がもはや当てはまらないからこの感覚には該当しない。
今回は長年馴染みの取引先での仕事という事もありバックパックに短パン草履という完全流離人スタイルでの旅となったが機内では肌寒くて辟易した。
そして食道ガンとなり丸8ヶ月間断酒してきた僕だが前週の十二指腸、胃から食道に至るまでのカメラ検診により食道ガン摘出完治後から全く異常がない事を確認し、今後はもちろん日々の自宅や出張先ホテルでは変わらず継続して禁酒を続けるものの、友人知人らとの集まりでは嗜む程度にアルコールを解禁する事と決めて初めての旅となった。
BKKでの仕事の後、CHAIYANとチェンライに向けてドンムアン空港へ。そして空港ラウンジで僕は8ヶ月ぶりにビールを飲んだ。
たった一杯のビールで目が回るのにはビックリした。もはやたくさん飲めないカラダになっているのだ。驚
チェンライはタイ最北端の大きな州だが街は小さく宿泊ホテル界隈にひとつかふたつのレストランや飲屋街通りが在るだけであった。
また初日は仏教に関わる日で全ての店、コンビニでお酒の販売が禁止となっていた。僕らはイタリア料理店で僕はステーキを、CHAIYANはパスタを頼んだ。
チェンライの朝は雨、少し早起きした僕はホテルの傘を差して独り街を歩いた。暫く歩くとこの日はまだ店がポツポツとしか開いてなかったが普段は活気がありそうな市場に出くわした。やはりどの街を訪れてもそこの庶民らが集う市場は実に面白い。朝方だからかオレンジの僧衣を身に纏った裸足の僧侶が街の彼方此方を歩いている。
CHAIYANとホテル近くのローカルな店で朝食を摂りその後に北に向かった。
雨がきつくなる。
タイ最北端の街にCHAIYANの知人が営むレストランがありそこで肉を焼きタイスキを腹一杯食べた。美味
そして色んなパゴダや寺院を巡った後に僕らはタイとミャンマーとラオスの国境にやってきた。
高台にある寺院から見るミャンマーの街並みはタイとそれほど変わらないがちと貧しいような気もしないでもない。CHAIYAN曰く、国境界隈は時代によりその境が変わっているので街はそんなに変わらないのではとの話であった。ただ向こうは簡単に停電が起こるらしい。タイとミャンマーのイミグレの建物の傍は川幅10メートルにも満たない水路のような川が国境となっていた。
その後、ラオスとミャンマーとタイの3カ国が交わるメコン川の河面へ。
ミャンマーに比べるとラオスは中国資本の多大なるサポートにより沢山のビルが建ち並んでいる。
ココからこのメコン川を1000km下った所に箕面高校の仲間サワダが建設に携わり亡くなった国境の橋がある。
あの橋に流れていた同じ色の茶褐色の河水が今もココに流れており亡きサワダの事を想った。
チェンライに帰ってもお腹は空かず、2人でビアバーにいて軽く飲んだ。その店はアカ族の女性が経営しているようであった。
翌朝、ホテルをチェックアウトして朝食を食べに。チェンライの郷土麺料理であるナムニャオは白いライスヌードルを用いた辛めのスープで炒めて丸めたような豚の挽肉が入っていた。美味
ブルーテンプル、ホワイトテンプルやチェンライで1番大きな仏陀を見て回った。
タイの仏陀はどこでも笑っている。さすがは微笑みの国である。
この日も山間を走ると前が見えない程の雨であった。アカ族の山間にある村やシンハーガーデンにも行ってきた。
帰りのフライトまでの待ち時間にチェンライでタイマッサージに行ってきたのだが、素晴らしく教育されたセラピストによる2時間のマッサージはチェンライ旅の最後を飾るには最高のひとときであった。
今回もCHAIYANにはただただ感謝である。
チェンライ万歳!













