先日、仕事で東松島市に行ったので、その帰路、同市沿岸部の大曲浜に立ち寄ってみました。
ここも震災による津波で甚大な被害を被った地域です。
震災後にここを訪れるのは初めてだったのですが、驚いたことに、ここには未だに多くの瓦礫が散乱しており、震災直後の様子が未だに色濃く残っているように感じられました。
ふと足元をみると、こどものおもちゃがたくさん転がっておりました。。。
この家の壁をみてください。
おそらく落書きなどではなく、この家に住んでいた家族が、この家に対する想いをペイントしたものだと思います。
正面はこんなになってました。。。
周囲は今は草ぼうぼうですが、元々は住宅街なので、震災前は今とはまったく違う風景があったはずです。
東松島市は石巻市に隣接してるののですが、市境の橋は一部が崩れ落ちたままでした。
進入禁止の柵があったためこれ以上先に進めなかったのでちょっと分かりずらいですが、橋のちょうど真ん中ぐらいが崩落してます。
現在はこの橋のとなりに仮設の橋が設けられていました。
橋の手前にある石巻市の標識も崩れたままです。
遠くには、まばらに残った防潮林の松の木がみえました。
これもまた、震災前とは大きく変わった風景です。
大曲浜を後にし、そこから5キロほどの東松島市の鳴瀬(なるせ)町に行きました。
そこのJR仙石線・野蒜(のびる)駅は、未だにこんな状態です。
JR仙石線は、仙台と石巻を結ぶJR路線なのですが、未だに一部不通のままです。
ホームの真正面には漁船が残ってました。
昨年6月にも記事にしましたが、ここ鳴瀬町では我輩の友人が津波に飲まれて亡くなっております。
ちょうどお盆過ぎの時節だったので、花束を供えたいと思い訪れたのですが、慰霊碑などが見当たらず、野蒜駅の前に地元住民の方が震災の被害状況を伝えるガイドをやっていたので、慰霊碑などはないのかとたずねたところ、まだそういうものは無いとのことでした。
我輩の知り限り、津波の被災地にはどこに行っても質素な慰霊碑があるので、何故ないのかちょっと訝しく思いました。
仰々しい造りじゃなくても、卒塔婆一本の質素な造りであっても、亡くなった方やそのご家族・知人のために慰霊碑は欠かせないものだと思います。
復興も大事ですが、死者を弔う気持ちの置き場を、早く作って欲しいと思いました。
しょうがないので、最寄の野蒜海岸にいって、浜辺に花束とお線香をたむけてきました。
ここ野蒜海岸は宮城県内有数の海水浴場なのですが、今年は海開きできませんでした。
というか、今年宮城県内で海開きできたのは、気仙沼の離島・大島の海水浴場1ヶ所だけでした。
ここにも以前は、鬱蒼と茂る松林がありましたが、今はもうその面影はありません。
まもなく震災から1年半です。
ここも震災による津波で甚大な被害を被った地域です。
震災後にここを訪れるのは初めてだったのですが、驚いたことに、ここには未だに多くの瓦礫が散乱しており、震災直後の様子が未だに色濃く残っているように感じられました。
ふと足元をみると、こどものおもちゃがたくさん転がっておりました。。。
この家の壁をみてください。
おそらく落書きなどではなく、この家に住んでいた家族が、この家に対する想いをペイントしたものだと思います。
正面はこんなになってました。。。
周囲は今は草ぼうぼうですが、元々は住宅街なので、震災前は今とはまったく違う風景があったはずです。
東松島市は石巻市に隣接してるののですが、市境の橋は一部が崩れ落ちたままでした。
進入禁止の柵があったためこれ以上先に進めなかったのでちょっと分かりずらいですが、橋のちょうど真ん中ぐらいが崩落してます。
現在はこの橋のとなりに仮設の橋が設けられていました。
橋の手前にある石巻市の標識も崩れたままです。
遠くには、まばらに残った防潮林の松の木がみえました。
これもまた、震災前とは大きく変わった風景です。
大曲浜を後にし、そこから5キロほどの東松島市の鳴瀬(なるせ)町に行きました。
そこのJR仙石線・野蒜(のびる)駅は、未だにこんな状態です。
JR仙石線は、仙台と石巻を結ぶJR路線なのですが、未だに一部不通のままです。
ホームの真正面には漁船が残ってました。
昨年6月にも記事にしましたが、ここ鳴瀬町では我輩の友人が津波に飲まれて亡くなっております。
ちょうどお盆過ぎの時節だったので、花束を供えたいと思い訪れたのですが、慰霊碑などが見当たらず、野蒜駅の前に地元住民の方が震災の被害状況を伝えるガイドをやっていたので、慰霊碑などはないのかとたずねたところ、まだそういうものは無いとのことでした。
我輩の知り限り、津波の被災地にはどこに行っても質素な慰霊碑があるので、何故ないのかちょっと訝しく思いました。
仰々しい造りじゃなくても、卒塔婆一本の質素な造りであっても、亡くなった方やそのご家族・知人のために慰霊碑は欠かせないものだと思います。
復興も大事ですが、死者を弔う気持ちの置き場を、早く作って欲しいと思いました。
しょうがないので、最寄の野蒜海岸にいって、浜辺に花束とお線香をたむけてきました。
ここ野蒜海岸は宮城県内有数の海水浴場なのですが、今年は海開きできませんでした。
というか、今年宮城県内で海開きできたのは、気仙沼の離島・大島の海水浴場1ヶ所だけでした。
ここにも以前は、鬱蒼と茂る松林がありましたが、今はもうその面影はありません。
まもなく震災から1年半です。