先週になりますが、仕事で福島県の川俣町に行ってきました。
原発事故により一部が計画的避難区域に指定されている自治体です。
我輩が行った地域は計画的避難区域ではないので、ごく普通の日常が流れている、穏やかな山あいの町でした。
その帰路、次の予定の都合で海側の南相馬市に出たかったのですが、南相馬市へと抜ける幹線道路は飯舘村を通っています。
飯舘村といえば、原発事故の影響で全村避難となっている自治体です。
今でも居住は制限されているようですが、村民ならば自由に出入りはできるような話は聞いていたので、はたして通過できるのかどうか、行くだけ行ってみようと思い、飯舘村へと向かいました。
道中、かなりの数の車と行き交ったので、通行止めにはなっていないだろうと察しがつきました。
そしていよいよ飯舘村です。
飯舘村のことは、原発事故のニュースや報道でみなさんもご存知かと思います。
福島第一原発からは距離にして30~40キロほどなのですが、事故直後の風向きや地形の影響で多量の放射性物質が降り注いだため、周囲と比較して放射線量が高く村全体が避難区域とされた自治体です。
我輩も放射線に対する懸念がまったくないわけではなかったのですが、車はやたらと走ってるし、人も見かけたので、さほど不安もなく村に入りました。
そしてついでと言ってはなんですが、時間があったので村の様子を何枚か写真に収めてきました。
丘の上のほうにあるのが小学校です。
さすがに人影は少なかったですが、それでも操業している工場があったり、家から出入りしている人も見かけましたし、野外で作業している人も見かけました。
あとはとにかく、車が普通の国道並みに往来していました。乗用車はもちろん、ダンプやトラック、パトカーなども^^;
ここはおそらく、水田か牧草地だったのではないでしょうか。。。
見てのとおり雑草が生い茂ってます。
飯舘村のブランド牛『飯舘牛』のお店です。
人影はなくひっそりと佇んでいました。。。
そして飯舘村役場です。
窓越しに人影も見えたので、常駐している職員の方がいるのかもしれません。
現在、飯舘村役場は福島市内に仮庁舎を設けて機能を移転しているようです。
そして、ごく一部ですが除染を行っている箇所もありました。防護服に身を包んだ人が作業していたので、さすがにここは危険かと思い、そそくさとその場から退きました(苦笑)
ブルーシートで覆われているのが除染によって取り除かれた土壌です。
とにかく、たしかに雑草が生い茂っていたり、廃墟のような建物があったりしましたが、思ったよりも荒廃してませんでしたし、家々は今すぐにでも住めそうでしたし、わずかながら人の営みの匂いも感じましたし、見えない放射線の影響とはいえ、この村に人が住めないということに言い知れぬ理不尽さを感じてしまいました。
住む家があるのに住めない、帰る場所があるのに帰れない、というのは地震や津波で家や故郷を失ったのとはまた違った意味で、本当に辛いのではと察します。
原発事故前となんら変わらないであろう豊かな自然の風景を見やりながら、事故後の避難指示が出た直後の大混乱した村に想像を巡らせ、やるせない思いで村を後にしました。。。
ちなみに村内の放射線量ですが、村独自の測定結果がHPに公開されており、おおむね毎時1~4マイクロシーベルトです。
たしかに周辺自治体よりちょっと高めですが、原発事故直後に比べればかなり下がってます。
念のため村役場へ問い合せたところ、短時間であれば人体に影響ないレベルだそうです。
そのとき電話対応に出られた職員の方に「いつか村が再生したら今度は観光でいきますね!」と思わず言葉をかけてしまいましたよ(^^)
原発事故により一部が計画的避難区域に指定されている自治体です。
我輩が行った地域は計画的避難区域ではないので、ごく普通の日常が流れている、穏やかな山あいの町でした。
その帰路、次の予定の都合で海側の南相馬市に出たかったのですが、南相馬市へと抜ける幹線道路は飯舘村を通っています。
飯舘村といえば、原発事故の影響で全村避難となっている自治体です。
今でも居住は制限されているようですが、村民ならば自由に出入りはできるような話は聞いていたので、はたして通過できるのかどうか、行くだけ行ってみようと思い、飯舘村へと向かいました。
道中、かなりの数の車と行き交ったので、通行止めにはなっていないだろうと察しがつきました。
そしていよいよ飯舘村です。
飯舘村のことは、原発事故のニュースや報道でみなさんもご存知かと思います。
福島第一原発からは距離にして30~40キロほどなのですが、事故直後の風向きや地形の影響で多量の放射性物質が降り注いだため、周囲と比較して放射線量が高く村全体が避難区域とされた自治体です。
我輩も放射線に対する懸念がまったくないわけではなかったのですが、車はやたらと走ってるし、人も見かけたので、さほど不安もなく村に入りました。
そしてついでと言ってはなんですが、時間があったので村の様子を何枚か写真に収めてきました。
丘の上のほうにあるのが小学校です。
さすがに人影は少なかったですが、それでも操業している工場があったり、家から出入りしている人も見かけましたし、野外で作業している人も見かけました。
あとはとにかく、車が普通の国道並みに往来していました。乗用車はもちろん、ダンプやトラック、パトカーなども^^;
ここはおそらく、水田か牧草地だったのではないでしょうか。。。
見てのとおり雑草が生い茂ってます。
飯舘村のブランド牛『飯舘牛』のお店です。
人影はなくひっそりと佇んでいました。。。
そして飯舘村役場です。
窓越しに人影も見えたので、常駐している職員の方がいるのかもしれません。
現在、飯舘村役場は福島市内に仮庁舎を設けて機能を移転しているようです。
そして、ごく一部ですが除染を行っている箇所もありました。防護服に身を包んだ人が作業していたので、さすがにここは危険かと思い、そそくさとその場から退きました(苦笑)
ブルーシートで覆われているのが除染によって取り除かれた土壌です。
とにかく、たしかに雑草が生い茂っていたり、廃墟のような建物があったりしましたが、思ったよりも荒廃してませんでしたし、家々は今すぐにでも住めそうでしたし、わずかながら人の営みの匂いも感じましたし、見えない放射線の影響とはいえ、この村に人が住めないということに言い知れぬ理不尽さを感じてしまいました。
住む家があるのに住めない、帰る場所があるのに帰れない、というのは地震や津波で家や故郷を失ったのとはまた違った意味で、本当に辛いのではと察します。
原発事故前となんら変わらないであろう豊かな自然の風景を見やりながら、事故後の避難指示が出た直後の大混乱した村に想像を巡らせ、やるせない思いで村を後にしました。。。
ちなみに村内の放射線量ですが、村独自の測定結果がHPに公開されており、おおむね毎時1~4マイクロシーベルトです。
たしかに周辺自治体よりちょっと高めですが、原発事故直後に比べればかなり下がってます。
念のため村役場へ問い合せたところ、短時間であれば人体に影響ないレベルだそうです。
そのとき電話対応に出られた職員の方に「いつか村が再生したら今度は観光でいきますね!」と思わず言葉をかけてしまいましたよ(^^)








