5月は仙台でも田植えのシーズンでした。
水をはった田圃に、一定の間隔で整然と植えられた稲の姿は、この時期の風物詩です。
まるで緑の絨毯のようです。
我輩は田舎育ちなので、小さな稲の植わったこの時期の田圃をみると、癒されるような気分になります。
しかし、昨年の震災では多くの農地や水田も被害に遭い、そのほとんどがいまだに作付けできないでおります。
瓦礫の撤去はかなり進んだようですが、津波により海水につかったため塩害が発生しているのです。
いわゆる除塩をしなければ農地としては再生できません。
下の写真の右側にこんもり盛り上がって見えるのが仙台東部道路という高速道です。
仙台市から南方へ約40km、海岸線とほぼ平行に走る高速道なのですが、海岸線より3~5kmほど内陸側で高さ6mほどの盛り土で建設されたため、津波に対しては図らずも防波堤の役割を果たし、運命の分かれ道となってしまった道です。
もしこの東部道路がなかったら、津波はさらに数キロは内陸部に進入して被害をさらに拡大させたことでしょう。
この東部道路を海側へ抜けると。。。
震災時、東部道路の海側と内陸側では、風景はまったく違っていました。
海側は、まさに地獄でした。。。
内陸側も、津波の一部が通行用のトンネルを抜けて押し寄せてきたので、被害は決して少なくはなかったのですが、海側と比べると、その程度は雲泥の差といっても過言ではなかったです。
そして、海側の水田は、ほぼ全域にわたって、いまだに作付けできない状態のようです。
一部の農地では水耕栽培をしたり、コットンプロジェクトとかいう綿花の栽培が行われているようですが、このありさまをみればそれはごく一部のことであると思い知らされます。
このブログで何度かとりあげた荒浜の遠景です。
遠くにまるで歯の抜け落ちた櫛のようになってしまった松林が見えます。
このガソリンスタンドも何度か写真をアップしましたが、自分的には荒浜の象徴的な存在です。これからも定点観測してみようと思ってます。
セブンイレブンの跡地から荒浜小学校をのぞむ。
駐車場にはこんな立て看板がありました。
書いてある内容の是非はともかくとしても、これは、ここに住んでいた住民の方達の悲痛な叫びであり慟哭のように聞えます。
我輩の生息地域の公園に、七郷堀という海までつづく堀があるのですが、今の時期はこんなです。
ここは海から7~8kmの地点なのですが、震災時、津波はこの堀をさかのぼって、溢れはしなかったもののここまで到達したそうです。
先日この公園でイベントがあり、夜には近所の子供たちの手作り灯篭が灯されていました。
日中、灯篭の準備中に見かけた灯篭のひとつがこれです。
「しんさいのみなさんへ」というなんとも子供らしい表現に思わず笑ってしまいました(^^)
水をはった田圃に、一定の間隔で整然と植えられた稲の姿は、この時期の風物詩です。
まるで緑の絨毯のようです。
我輩は田舎育ちなので、小さな稲の植わったこの時期の田圃をみると、癒されるような気分になります。
しかし、昨年の震災では多くの農地や水田も被害に遭い、そのほとんどがいまだに作付けできないでおります。
瓦礫の撤去はかなり進んだようですが、津波により海水につかったため塩害が発生しているのです。
いわゆる除塩をしなければ農地としては再生できません。
下の写真の右側にこんもり盛り上がって見えるのが仙台東部道路という高速道です。
仙台市から南方へ約40km、海岸線とほぼ平行に走る高速道なのですが、海岸線より3~5kmほど内陸側で高さ6mほどの盛り土で建設されたため、津波に対しては図らずも防波堤の役割を果たし、運命の分かれ道となってしまった道です。
もしこの東部道路がなかったら、津波はさらに数キロは内陸部に進入して被害をさらに拡大させたことでしょう。
この東部道路を海側へ抜けると。。。
震災時、東部道路の海側と内陸側では、風景はまったく違っていました。
海側は、まさに地獄でした。。。
内陸側も、津波の一部が通行用のトンネルを抜けて押し寄せてきたので、被害は決して少なくはなかったのですが、海側と比べると、その程度は雲泥の差といっても過言ではなかったです。
そして、海側の水田は、ほぼ全域にわたって、いまだに作付けできない状態のようです。
一部の農地では水耕栽培をしたり、コットンプロジェクトとかいう綿花の栽培が行われているようですが、このありさまをみればそれはごく一部のことであると思い知らされます。
このブログで何度かとりあげた荒浜の遠景です。
遠くにまるで歯の抜け落ちた櫛のようになってしまった松林が見えます。
このガソリンスタンドも何度か写真をアップしましたが、自分的には荒浜の象徴的な存在です。これからも定点観測してみようと思ってます。
セブンイレブンの跡地から荒浜小学校をのぞむ。
駐車場にはこんな立て看板がありました。
書いてある内容の是非はともかくとしても、これは、ここに住んでいた住民の方達の悲痛な叫びであり慟哭のように聞えます。
我輩の生息地域の公園に、七郷堀という海までつづく堀があるのですが、今の時期はこんなです。
ここは海から7~8kmの地点なのですが、震災時、津波はこの堀をさかのぼって、溢れはしなかったもののここまで到達したそうです。
先日この公園でイベントがあり、夜には近所の子供たちの手作り灯篭が灯されていました。
日中、灯篭の準備中に見かけた灯篭のひとつがこれです。
「しんさいのみなさんへ」というなんとも子供らしい表現に思わず笑ってしまいました(^^)












