311の震災ですっかり有名になってしまった南三陸町は、2005年に志津川町と歌津町が合併してできた新しい町です。
なので南三陸町立病院とか、南三陸高校などは存在しません。
あるのは志津川病院、志津川高校、歌津中学校などです。

「志津川」「歌津」。。。字面も響きも風情があります。
今でも地元の人は南三陸町とはあまり言わないようで、志津川、歌津と呼ぶ人が多いようです。

我輩、震災前の南三陸町には、気仙沼に行く途中で通り過ぎたことしかありません。
こんなこというと地元の人に失礼ですが、以前は印象が薄い町で、わざわざ観光に訪れるような町ではなかったような気がします。
震災後に聞いた話なのですが、地元の人たちもそれはよく分かっていたらしく、これから観光に力を入れて町づくりをしていこうとしていたそうです。
その矢先、大津波に見舞われたわけです。皮肉にも、震災によってその名が全国に知れ渡ることとなったのです。


数年前、電車で気仙沼に行ったことがあるのですが、ちょうど歌津駅のあたりから線路は海沿いを縫うように走るので、車窓に映る三陸のリアス式海岸の風光明媚な景色が、とても綺麗で印象的でした。
今でもよく覚えています。
しかしその線路も、もうありません。津波で流され、復旧のめどすらたっていないのです。

前回の記事では石巻市を取り上げましたが、同じ日に、時間があったので足を延ばして南三陸町の志津川に行ってきました。
石巻市からは車で1時間ちょいの距離です。

この町では、家、ビル、スーパー、コンビニ、駅、役場、病院、港。。。すべてなくなってました。
志津川という町のすべてが破壊されたといっても過言ではないです。
我輩、いろんな被災地を見てきましたが、それでも、この志津川ではかなりの衝撃を受けました。

ニュースやドキュメンタリーでも何度も取り上げられた志津川病院です。
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さっきとは別の国道沿いです。
途中で仮説店舗のコンビニが見えます。
最後に見える建物は町の防災庁舎です。
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ここでは、津波に飲み込まれる直前まで防災無線で避難を呼びかけた職員の方が亡くなってます。庁舎前には献花台が設けられ、お花やお線香がたくさん供えてあったので、我輩も手を合わせてきました。

町の高台にあるため町内で一番大きな避難所となったベイサイドアリーナ
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駐車場にはボランティアの詰め所のテントがたくさんありました。
毎月最終日曜にはここで復興市が催され、全国から多くの人が訪れるそうです。

ベイサイドアリーナのすぐ隣には仮説の町役場がありました。
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以前このブログで、タコの置物のオクトパス君のことを紹介しましたが、買う気マンマンでベイサイドアリーナに行ったものの、そこにも町役場にもなく、職員の方に売っている場所を教えてもらい、車で15分ほど山の方へ向かうと、そこにオクトパス君の工房がありました。
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廃校となった小学校を工房として利用していました。
中では地元のおばちゃん達が、せっせと赤いオクトパス君を作ってました(^^)

そしてついに手に入れたのがこれです^^;
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一緒にバッジも買ってきました(^^)
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帰路、最初の動画にも映っているプレハブで営業していたガソリンスタンドで給油してきました(^^)
こんな状況下でがんばって営業をしているお店を見つけると、ついつい財布のひももゆるんでしまいますね^^;