しばらくして、親戚や父の同僚が次々と訪れた。
「たいへんだったねぇ」
「このたびは・・・もう言葉もないです」
みな沈痛な面持ちで声をかけてくる。
母は彼らを霊安室へ案内した。
「バカヤロー」と呟いて号泣する者。
硬直したように立ち尽くす者。
「お世話になりました」と深々と一礼する者。
アサミは壁によりかかって、その様子を眺めていた。
彼らの姿を見てると、自分の知っている父は、父のほんの一側面でしかなく、父は自分が思っていたよりももっと大きな存在だったように思えてくる。ひとりの人間としての父、それはたとえ他人だったとしても尊敬できる存在だったのではないか。それをこんな形で思い知らされるなんてなんて不条理なんだろう、とアサミは思った。
遺体との対面を終えると、全員で照明の半分消えたロビーに移動し、今後のことについて相談をはじめた。父の弟にあたる叔父は、病院側と折衝し、明朝(といっても数時間後になっていたが)に遺体を実家へ搬送する手続きをとってくれていた。あとは通夜と葬儀の日取りや業者の手配、斎場の予約、役所への届出・・・やることは山ほどあった。
一同は、あれはこれはと議論していたが、そんななか、母は心労のせいか、ぐったりとして壁際にしゃがみこんだ。すると叔父は「しばらく休んだほうがいい」と声をかけ、ロビーの長椅子のうえに母を寝かせ、着ていたジャンパーを掛けてくれた。アサミも母の横に腰をおろし、黙って叔父達の話を聞いた。
薄暗い深夜の病院のロビー。こんなことが起きなければ、こんなところにこんな時間にいることはないだろう。少しだけ落ち着いてきたせいだろうか、父の血縁者や父を慕う者たちに囲まれて、少しだけ安堵している自分にアサミは気付いた。
通夜は明日の夜とり行うことに決まったらしい。母と叔父以外は先に帰って遺体を迎え入れる準備をし、母と叔父は遺体と一緒に帰郷することになったようだが、実家に着くと休む間もなく通夜の準備をしなければならないらしい。
母はこんな状態で大丈夫かな、とアサミは心配になった。これでもし、万が一、母も倒れるようなことになったら・・・と不安になった。母はもともと父にも引けをとらないくらい丈夫な人だ。だが健康そのものにみえた父が突然亡くなってしまったのだから、母にもおなじようなことが起きらぬとも限らない。そんな不安が、恐怖心となってアサミを襲った。
アサミは「大丈夫?」と長椅子に横たわる母に声をかけた。母は黙ってうなずいた。
父になにもしてやれなかった自分、そして母にもなにをしてやればいいのかわからない、そんなふうに考えるとアサミはやるせない気分なった。
「これからが大変だね。しばらく忙しくなりそうだけど、あまり無理しないでね。あたしも出来るだけのことはするから」
アサミが湿った声でそう言うと、母は腕を額にあて、
「ちゃんとお父さんを見送ってやらなきゃね」
とこたえた。
父を見送る・・・アサミは黙ってその意味をかみしめた。
父は一度だけ、アサミの家を訪れたことがあった。
ちょうど二年前の今頃、初雪が街を白く染めた日だった。父は出張のついでにアサミの家に立ち寄ったのだ。アサミはキムチ鍋を用意して父を待った。昨日とまったく同じシチュエーション。だがあの日は、父は約束通りにアサミの家にやって来た。
父とふたりきりの食事はかなり久しぶりのことだった。子どもの頃に船の上でふたりで食べたお弁当以来だ。自然とそのときの父の顔が思い出されて、コタツに入り鍋をはさんで向き合いながら、こうやって見ると、おとうさんも老けたなぁ、とアサミはしみじみ思った。
父は嬉しそうにキムチ鍋をつついた。一緒に用意していた癇酒をアサミが酌してやると、父はぐいっと飲み干し、満足そうな表情で「おまえも飲め」と言って酌をかえした。飲み慣れない日本酒だったが、今まで飲んだどんなお酒よりも、おいしく感じたお酒だった。
父は酔いがまわるほどに饒舌になり、いろんなことを喋りだした。
アサミが産まれたとき、父は洋上にいたのだが、無線で知らせを聞くと、父は嬉しさのあまり夜の海に向かって叫んだらしい。自分で何を叫んだのかは覚えてないが、あとで乗組員の仲間に聞いたところによると、「オレの子だぁー!」とかなんとか意味不明なことを叫んでいたらしい。それから船の上で仲間が祝ってくれたのだが、酒宴の途中からまったく記憶が途切れて、気がついたら甲板で一升瓶を抱えて寝てたらしい。その抱えかたがまるで赤ん坊を抱いているみたいだったので、仲間にさんざんからかわれた、と父は懐かしそうに話した。
父の器が空になっていたのでアサミが鍋からよそってやると、父は受け取りながら「今だから話すけど」と前置きをして話をつづけた。
椎間板ヘルニアを悪化させ、もう船には乗れないと知ったとき、父は絶望し何もかも投げ出したい気分になったという。飲んだくれの日々がひと月ほど続いたそうだ。そんなときに生きる気力を与えてくれたのが、まだ小学2年生だったアサミだった。父が泥酔状態で深夜帰宅すると、コタツでアサミが寝ていた。枕元にあったのは「おとうさん」と題された作文。宿題かなにかであったのだろう。そこには父への感謝の気持ちと、父の身体への気遣いが綴られていた。それを読んだ父はその場で泣いたという。アサミにはその作文の記憶がまったくなかったので、なんて書いてあったのか訊ねたが、父は答えなかった。その作文はコンクールで賞もとったらしいが、アサミは何を書いたのかまったく覚えていなかった。
「そんなことがあったんだ・・・」
とアサミが言うと、父は「まぁな」とこたえて杯をかたむけた。
アサミは嬉しかった。何も孝行してないと思っていたから、子どもの頃に、たとえそのつもりはなかったとしても、父を助けていたという事実が、アサミにはとても嬉しかった。同時にとても照れくさく感じたが、それを父にさとられるのがなんとなく気恥ずかしくて、アサミは無表情を取り繕った。
「おまえの方は最近どうなんだ?」
不意に父が訊ねた。表情が少しだけ険しくなっていた。
アサミが「どうってなにが?」と返すと、父は「いろいろあるだろう」とこたえた。アサミは父の真意をつかみかねたが結婚とか彼氏とか異性関係のことだろうと推測し「相変わらずよ。特になにもなし」とこたえた。すると父はほんの少し表情をやわらげ「そうか」と一言だけ言った。
アサミにはその頃彼氏がいたのだが、結婚するつもりはなかったし、なんとなく父にはまだ言えないと思っていた。
しかし、いつかは「おとうさん、長い間お世話になりました」なんて言う日がくるのかなぁ、などと考えるとなんとなく切ない気分になった。でも自分は一人娘だからやっぱりおムコさんをとらなきゃいけないのかなぁ、そんな話を父としたことは一度もなかったなぁ・・・とアサミは父の話にうなずきながら考えた。
「ねぇおとうさん」
父の話が途切れたとき、アサミはなにげに訊ねた。
「あたしってやっぱりおムコさんとらなきゃいけないの?」
父は驚いたような表情をして「なんだ、やっぱりそういう相手がいるのか」とこたえた。
「ううん、そういうわけじゃないけど。でもそういう事も考えなきゃいけない年頃でしょ」
すると父は、
「そんなことは考えなくていい。跡をついでもらうようなものはおとうさんにはないし、おまえの人生はおまえのものだ。おまえが嫁にいっても親子の関係がなくなるわけじゃないしな」
とキッパリと言った。
アサミはちょっぴり嬉しくなって、心も身体もホコホコと温まる気がした。キムチ鍋のせいもあるだろうが、それだけではないもっともっとあたたかいものを感じた。
最初で最後の、父娘ふたりきりでつついたキムチ鍋。父の話が、一番いい味を出していた。
