脳はあくまでも、ひとつの計算機なのです。みなさんが計算機やコンピュータを動かすように、そういう機械として、情報の整理場所としてあるのです
もちろん、そこが故障した場合には、肉体として情報整理に困難を感じることは事実ですが、魂としては的確に情報を得ているのです
このように、この世的にいろいろと体験することを受けとるもの、そしてそれについて善悪、美醜(びしゅう)、好悪(こうお)などの価値判断をするもの、それを「心」といいます
その「心」があって初めて、人間は「人間」と言うことができます
これがなかったら、人間は「地球上でまったく偶然に動いている物体」という以上のものではないと思います
心があるからこそ人間は人間であり、かつまた尊いものなのです
しかも、不思議なことに、その心は、親が一緒ではない者どうしでも、同じような法則性を持っています
善悪、美醜の感覚というものは、割合に共通したものがあります。もちろん、人によって、その意味づけ、判断に多少の違いはあっても、たとえば、美しいものを見て美しいと感じる感覚、また甘いものを食べて甘いと感じる感覚は、原則は一緒です
日本に住んでいる人も、地球の裏側に住んでいる人も、甘いものを食べれば甘いと感じます。しかし、同一の親から生まれたわけではありません
それも何千年、何万年、それ以上のあいだ、まったく別に生活していたはずです。まったく別々のところにいたのに、甘いものは甘い、辛いものは辛いて感じる感覚があります。これはいったい何でしょうか
また、うれしいときには笑い、悲しいときには涙を流します。これはいったい何でしょうか。それから、腹が立つときには、ともに腹が立つことだってあります
そのように、個人個人の小さな誤差はあったとしても、一定の条件のもとに同じような感じ方をします
人間の心には、そういう共通性、普遍性があります。言葉は通じなくても、そういうところがあるのです
これが実は、みなさんの心のなかにある「仏性(ぶっしょう)」なるものの現れ方なのです
仏性というのは、いったい何であるかというと、要するに、この世で起きるさまざまな出来事や経験を感じとることができるということ、その感じ方に幾通りかの感じ方、一定の方向性があるということ-これが実は仏性のそもそもの始まりなのです
暗い世界では、みんなが暗いと感じる。明るい世界では、みんなが明るいと感じる。また、自分が幸福になっていけばうれしいと感じる。そのように、同じような感じ方ができる
それが実は、万人に仏性があるということの現れなのです
仏性-仏の性質、悟りの性質というものは、実はすべての人が、魂の感覚として、一定の価値判断をすることができるという可能性のことを言っているのです
いろいろなかたちで、目に見えない価値というものを、人間はこの地上に創り出してきました
その目に見えない価値とは、一定のルールのもとに、より優れていると思われているもののために、自分自身の自由意志を統御し努力していくなかに、人類全体が幸福になっていくという方向をめざすように方向づけるものであり、それが実は「仏性」なるものなのです。「悟りの性質」なるものなのです
~~~~~~~~~~~
いろんな書籍をひもといてみると、神秘的なもの、奥の深いものに出会い、自分自身の考え方、見方が全く違ったものに変化してきます
つくづく人間というのは、素晴らしく創られているものだな~と思います
いつも自分の現状を見ては、満足いかないことばかりですが、人間の大きな可能性というものを考えたときに、やっぱり自分もまだ可能性は残されている、後ろを見ている時間はないんだ、前に進むしかないんだと…気がつくと、また立ち上がろうとしている自分がいます
きっと一生こうしてチャレンジし続けているんでしょうね
明日からまた頑張ります
Minako

もちろん、そこが故障した場合には、肉体として情報整理に困難を感じることは事実ですが、魂としては的確に情報を得ているのです

このように、この世的にいろいろと体験することを受けとるもの、そしてそれについて善悪、美醜(びしゅう)、好悪(こうお)などの価値判断をするもの、それを「心」といいます

その「心」があって初めて、人間は「人間」と言うことができます

これがなかったら、人間は「地球上でまったく偶然に動いている物体」という以上のものではないと思います

心があるからこそ人間は人間であり、かつまた尊いものなのです

しかも、不思議なことに、その心は、親が一緒ではない者どうしでも、同じような法則性を持っています

善悪、美醜の感覚というものは、割合に共通したものがあります。もちろん、人によって、その意味づけ、判断に多少の違いはあっても、たとえば、美しいものを見て美しいと感じる感覚、また甘いものを食べて甘いと感じる感覚は、原則は一緒です

日本に住んでいる人も、地球の裏側に住んでいる人も、甘いものを食べれば甘いと感じます。しかし、同一の親から生まれたわけではありません

それも何千年、何万年、それ以上のあいだ、まったく別に生活していたはずです。まったく別々のところにいたのに、甘いものは甘い、辛いものは辛いて感じる感覚があります。これはいったい何でしょうか

また、うれしいときには笑い、悲しいときには涙を流します。これはいったい何でしょうか。それから、腹が立つときには、ともに腹が立つことだってあります

そのように、個人個人の小さな誤差はあったとしても、一定の条件のもとに同じような感じ方をします

人間の心には、そういう共通性、普遍性があります。言葉は通じなくても、そういうところがあるのです

これが実は、みなさんの心のなかにある「仏性(ぶっしょう)」なるものの現れ方なのです

仏性というのは、いったい何であるかというと、要するに、この世で起きるさまざまな出来事や経験を感じとることができるということ、その感じ方に幾通りかの感じ方、一定の方向性があるということ-これが実は仏性のそもそもの始まりなのです

暗い世界では、みんなが暗いと感じる。明るい世界では、みんなが明るいと感じる。また、自分が幸福になっていけばうれしいと感じる。そのように、同じような感じ方ができる

それが実は、万人に仏性があるということの現れなのです

仏性-仏の性質、悟りの性質というものは、実はすべての人が、魂の感覚として、一定の価値判断をすることができるという可能性のことを言っているのです

いろいろなかたちで、目に見えない価値というものを、人間はこの地上に創り出してきました

その目に見えない価値とは、一定のルールのもとに、より優れていると思われているもののために、自分自身の自由意志を統御し努力していくなかに、人類全体が幸福になっていくという方向をめざすように方向づけるものであり、それが実は「仏性」なるものなのです。「悟りの性質」なるものなのです

~~~~~~~~~~~
いろんな書籍をひもといてみると、神秘的なもの、奥の深いものに出会い、自分自身の考え方、見方が全く違ったものに変化してきます

つくづく人間というのは、素晴らしく創られているものだな~と思います

いつも自分の現状を見ては、満足いかないことばかりですが、人間の大きな可能性というものを考えたときに、やっぱり自分もまだ可能性は残されている、後ろを見ている時間はないんだ、前に進むしかないんだと…気がつくと、また立ち上がろうとしている自分がいます

きっと一生こうしてチャレンジし続けているんでしょうね

明日からまた頑張ります
Minako