親から聞いた戦争 | Tack's Blog

親から聞いた戦争

毎年この時期になると戦争の話題が...

戦後75年だそうです、当然私は戦争のことは知りません。

ただ自分の両親は青春真っただ中、もう30年前に亡くなりましたが、生前に聞いた話をしたいと思います。

終戦の夏の話です。

 

母の話.

昭和2年生まれ、当時19歳、群馬師範学校(群馬大学教育学部の前身)の女学生でしたが、前橋で勤労動員していました。

そこで作っていたのは風船爆弾!日本から飛ばしてアメリカで爆発させるというなんともシュールな爆弾ww

和紙を群馬名産こんにゃく糊で張り付けて作っていたそうです、母もこんなもの使いもんになるんかいなと思っていたそうです。

そんな夏...群馬県にも大きな空襲があって、前橋がやられました、高崎に住んでいた母は、翌日もクソ真面目に前橋に行ったそうです。

その時見た光景は..焼け野原に銀行の金庫がポツリポツリ、高崎に戻ろうとして歩いていたら、アメリカ軍の飛行機から

機銃掃射をうけたそうです、洗面器をかぶって必死で走って逃げたそうです、当たってたら私いないかもww..

まあ母の言うことも、子供のころわたしが聞いた話も詳細はちがうかもしてませんが、私も忘れてしまうので書き留めておこうかと...

 

父の話

大正13年生まれ、当時22歳、桐生高専(現在の群馬大学工学部)の大学生でした、昭和20年9月1日、

技術将校として入隊予定だったそうです。

そういえば私が中学のときに押し入れに軍刀が隠してあって、私が見つけたらひどく親に怒られて、

その後どこかにいってしまいました。

その刀は父が入隊のときのために準備してあったものを隠しておいたらしいです。

父親がよく口にしたのは、お前も理系がいいぞ! 文系の連中は学徒動員で早く戦争に駆り出され命を落とした、

おれは9月1日だったらなあ....

ってかなり影響されました、戦争ないけど私は理系ww

 

毎年原爆だ、空襲だ、終戦だと...この時期思いだす、武勇伝でもなんでもないファミリーヒストリーでした...