真夏の島に咲く花は | Tack's Blog

真夏の島に咲く花は

最近の朝のルーチンワーク
・朝起きて朝食を食べる、コーヒー片手に自分の部屋に
・youtubeで南国の暖かそうでHappyな映像を見て心も体も温める。
・ネクタイ締めてスーツを着て分厚いコートを羽織り、イヤイヤ出勤......

しかも、最近ハワイだけでなく、タヒチやフィジーの動画や音楽にご執心...




あ~、こんな世の中の煩悩切り捨てて、シンプルな生活したい。


去年、こんな本を読んだ
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フィジーの事ついて書かれた小説ですが、

もともとはフィジーの人がのんびり暮らしていたところに、インド人や中国人が移住、
彼らは勤勉なので当然経済力もネイティブフィジー人よりついてくる、
ネイティブフィジー人は相変わらず、アイランドスタイルでのんびり....
そのうち暴動が発生....

たぶん、ハワイでもタヒチでも先進国が入植した島は同様な問題があると思う。

いくつか、本の引用ですが、感銘を受けたところをピックアップします。

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文明圏共通の価値観を持つ人間として一括りにされる。勤勉であること、約束を守ること、お互いに助け合うこと、などなどを美徳として捉える価値観だ。

それらの約束事は文明圏共通の美徳ではあっても、人類共通の美徳ではない。
 勤勉であること。約束を守ること。お互いを助け合うこと。それらの根底にある思想は、飢えへの恐怖だ。飢えを知るからこそ、勤勉さと相互扶助の精神が尊ばれ、さらにその関心が効率的な生産活動や食料備蓄という側面にまで高まってきたとき、重要な約束事や貨幣経済が生まれる。
 つまり、これらの美徳は、飢えへの回避という要因から発した後天的なものに過ぎない。
 だが、働かなくても道を歩けば食べ物はいくらでも転がっている社会では、勤勉さや約束遵守の精神はそれほど求められない。
 自分たちが物心ついたときから人類共通の美徳として信じきってきた価値観など、それだけのものに過ぎないのだと感じた。

今を犠牲にして将来を取るのか。それとも今を楽しんで、将来は貧乏でもいいと覚悟を決めるのか。そもそも、そんな後か先かでの人生の損得を考えること自体、おかしいことなんじゃないだろうか。
 生きることは、損得勘定ではないんじゃないかな。


「お金。お金がすべてなんだよ、今は」ラトゥは言った。「大昔はそんなもの必要なかった。お金がなくても、みんな楽しそうに生きていた。わしが子どもだった五十年前は、まだそうだった。テレビがなくても、みんなで砂浜に出ていろんな話をした。ラジカセやCDデッキがなくても、みんなで歌を唄えばよかった。クルマやバスがなくても、そのぶん時間をかけて歩いていけばいいだけの話だった。お金がなくても、みんな幸せだった。でも今は違う。みんな、お金に心を縛られている。いつの間にかそんな世の中になったよ。(後略)」

 楽園は、周りの人間と作り上げていくものだよ。場所なんかじゃない。そしてその人間関係がもたらす心の風景だ、と。

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30年間がっつりサラリーマン根性を刷り込まれたわたしにシンプルな生活が出来るだろうか?