「どんな相手であれ、『逃げ道』をつくってやれ」


私たちは、「この人は敵だ」と思ったら、ついつい完膚なきまでに徹底的に潰そうとしてしまいがちです。


四方を閉ざして、完全に逃げ道をなくし、ロジックでとことん相手を追い詰めていく。相手が「参りました」と言うまで責め続けとようする。


程度の差はあっても、人間は誰しも、そうした部分を持っているような気がします。


しかし、これをやって痛い目に遭うのは結局、自分自身です。


「窮鼠猫を噛む」という言葉があります。

これは、中国・西漢(前漢)の時代に編纂された『塩鉄論』(この時代の経済政策について述べた本)に出てくる言葉です。


原文は「死して再び生きざれば、窮鼠、貍(=野猫)を噛む」。


意味は、「追い詰められた鼠、死んだらもう生き返ることはないのだからと、死にもの狂いになって、自分よりはるかに強い猫にも噛みつく」ということ。


ビジネスでもこれと同じで、ギリギリまで相手を追い詰めれば、相手は決死の覚悟で反撃してくるかもしれない。


しかも、死ぬ覚悟ですから、何をするかわかりません。あるいは、見事、相手を屈服させたとしても、相手には恨みが残ります。


今すぐにではなくても、いつかとんでもない反撃を受ける可能性があります。


「逃げ道をつくってやれ」という大先輩たちの言葉は、こうした状況に陥らないための貴重なアドバイスだったわけです。


「相手が謝ったら、それ以上責めない」


歴史を見ると、本当に賢い武将や帝王は、敵にわざと「逃げ道」を残す戦略をとっていました。


たとえば、アカイメネス朝ペルシア(紀元前550〜前330)のダレイオス1世(紀元前558〜前486)。


彼は紀元前6世紀の終わりに、地中海のエジプトからインダス川にいたる大帝国を建設しますが、ヨーロッパ中心の西洋史観では、彼が大戦争をした相手はギリシアだとされています(ペルシア戦争:紀元前500〜前449年)。


しかし、ダレイオス1世からすれば、ギリシアは「帝国の西の方で、うるさく文句を言う都市国家があるから、23発、殴っておこうか」程度の話だったのではないでしょうか。


それ以上に彼が手ごわい主敵だと見なしていたのは、今の南ロシアのあたりで大きな勢力を持っていた騎馬遊牧民の国家スキタイ(紀元前6世紀?〜前3世紀?。独特な騎馬文化を持っていたとされる)だったと私は見ています。


「これは、今のうちに叩いておかないと、将来、災いを残す」


そう考えたダレイオス1世は70万人もの大軍を率いて、エーゲ海のダーダネルス海峡に橋をかけ、スキタイに攻め込みます。


一方のスキタイもさるもので、「世界帝国の君主(ダレイオス1世)が大軍を率いて正面から攻めてきた。真っ向勝負したら負けるに決まっている」と、「焦土作戦」をとります。つまり、逃げながら、その通り過ぎた土地をすべて焼き払っていく。


焦土作戦が怖いのは、攻めた側は、その土地でまったく何も補給できなくなってしまうことです。そこはすでに焦土と化し、何も残っていません。


スキタイを滅ぼそうと、敵地に攻め入ったダレイオス1世の大軍はまさにその状況に陥りそうになったのです。


そこで、ダレイオス1世は考えます。

「このまま追いかけていったら、当方は大軍だから兵糧が大変だ。仕方がない。ここまで叩いておけば、スキタイもしばらくは懲りて何もしないだろう」

こうして、ダレイオス1世は撤退を決断します。


これはすばらしい能力だと思います。

圧倒的な大軍を持っていながら、引く決断ができる。その結果、ある程度のところで、自軍の被害を止めることができます。


ナポレオンもロシア遠征でロシア軍からまったく同じ作戦をとられます。

つまり焦土作戦。ところが、彼はダレイオス1世の域には達していなかった。

そのまま奥地へと進んでいってしまったのです。


その結果、ロシアの「冬将軍」につかまり、ナポレオンの大陸軍が壊滅したのはみなさんもご存知のとおりです。



相手をとことん追い詰めない。

それは、仕事上のライバルに対してもそうですが、部下や同僚に対してもそうです。あるいは、とんでもなく困った上司に対してもそうです。


たとえば、相手がミスを犯して、こちらがそれに文句を言った。

そのとき、相手が「たしかにそうですね。やり直します」と言ったらそこで矛を収める。それ以上は、責めない。


それが結局は、相手にとっても自分にとってもプラスになるのだと思います。