もし今日が人生最後の日だとしたら、
今日やろうとしていたことをする?
今世紀最後のカリスマといわれる
アップル創業者スティーブ・ジョブズ。
彼こそ、死を最大に活用した人でした。
次は、ジョブスのスタンフォード大学でのスピーチの一部です。
私は17歳のときにこんな言葉と出会った。
「毎日を人生最後の1日だと思って生きていこう。そうすればいつの日か必ず間違いのない道を歩んでいることだろう。
やがて必ずその日がやってくるから」
それはとても印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分にこう問いかけることを日課にしてきた。
「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていることをするだろうか」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、生き方を見直せということです。
そしてジョブスはいいます。
「心に従わない理由などない」と。
ジョブスはお寿司を愛し、また禅を深く学んでいたことから、京都の禅寺を愛していました。
iPhoneやiPadなどのアップル製品の、ギリギリまでそぎおとしていくそのデザイン性、そしてジョブスの並はずれた集中力も禅からきているのだそうです。
そういう意味では、ジョブスのスピリットは、日本人の精神と深くつながる部分があるわけです。
「死をかたときも忘れないこと」
実はこれは、かつての日本人のサムライたちが常に心がけていたことです。
サムライとは、「いかに死ぬか」。
つまり、「この命を何に差し出すか」
ということを、いつも問うていた人たちだったと。
武士道の聖典といわれる「葉隠」の中でも、「武士道というは、死ぬことを見つけたり」とあります。
死があるからこそ、命の尊さに気づき、
命の使い方に真剣になれるのです。
完全に死ぬために、いま、ここ、
この一瞬一瞬を完全に生きよと。
そして、いつか死ぬ身であることを日ごろからハラに落とし込んでいるからこそ、ここ一番の場面では、人のためにその命を投げ出せたのです。
作家の曽野綾子さんは
「義務教育で『死』を説かないのは、
日本の大人や教育者の傲慢だ」
と主張されています。
タイのお寺では、死体を見ながら瞑想する修行だってあります。
死をタブーにせず、死をしっかり見つめることで、
「すべては移り変わりゆくもの(無常)」であることを知るのです。
ディーパック・チョプラ医学博士によると、僕らは1日に6万回以上、考えごとをしているそうです。
しかも、その90%は前日と同じことだとか。
1日のほとんどを、もう変えられない過去のことか、起こるかどうかもわからない(多分起きない)未来の不安にあれこれ頭を悩ませているんです。
今度食事をするとき、どれくらい自分が考えごとをしながら食べているか、ちょっと意識してみてください。
よけいなことばっかり考えている自分に驚くはずです。
だから、「今日、死ぬ」と思って1日をはじめてみよう。
「今日死ぬ」と思ったら、過去のことなんてどうでもよくなりますから。
悩んでるときは、「今日が人生最後」
って声に出してみよう。
未来の不安なんかバカバカしくなって、「クソくらえ」となりますから(笑)。
恋人が、いま目の前にいるのに、あなたの頭は過ぎ去った過去や、まだ来てもいない明日のことを考えながら会っている。
それでいいんですか?
頭でごちゃごちゃ考えていると、いま、この瞬間に流れている “風” を見逃します。
人生は、いま、ここにしかないのに。
日本で受けつがれている禅も同じ発想です。
意識をそらさずに、「いま、ここ」に
ちゃんとたたずむことができる作法が禅の極意ですから。
「只、今にいる」
これがほんとうの「ただいま」です。
未来でもなく、過去でもなく、
「ただ、いま」にいる、
その境地にたどり着いたときにかけられる言葉が「おかえり」です。
目覚めましたか?
おかえり。