山本義隆さんという人がいます。

大学というアカデミズムに属さない在野の科学史家として、『磁力と重力の発見』(みすず書房)などすばらしい本を何冊も出されています。


長いあいだ、予備校の物理学の名物講師としても活躍された人です。


その山本さんが、とあるインタビューで「人はなんのために勉強をするのか?」

という問いへの答えとして言われたのが、

「自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため」

という言葉。


まさにその通りだと思います。


「知識をインプットしなければ、考えることはできない」


なかには、インプットは一所懸命するのに、そこでストップしてしまう人をときどき見かけます。

考えるという作業をほとんど行わず、

アウトプットをからきししない。



「勉強する」、あるいは「学ぶ」という人間の営為は、インプットとアウトプットがセットになっているのです。


この2つをセットでやらないと、せっかく知識をインプットしても、それはその人にとって、地肉にはなりません。


下手をすれば、時間とともに忘却の彼方にいってしまうことになるでしょう。



ところで、アウトプットとは何か。


その基本は、母語(マザータング)による「言語化」です。


しかも、インプットしたままの他人の言葉ではなくて、それを自分の頭で咀嚼して、自分の言葉に引き直して言語化する。



その作業を経ることによってはじめて、自分の頭の中の「情報のタンスの中の引き出し」(自分の辞書)を整理することができます。


整理されれば、引き出しやすくもなります。必要なときに、さっとその知識を取り出せるわけです。


逆に、言語化の作業を経ないと、情報は頭の中の「タンス」の中でグチャグチャになったままです。

場合によっては、タンスの外にはみ出しているかもしれません。


これは別の言葉で言えば、

自分の「地肉」になっていない状態。

モノになっていない。


だから、適切に取り出せないばかりか

すぐに忘れてしまうのです。



日本では、経営学者のピーター・ドラッカーが非常に人気があります。

読者もファンもたくさんいます。

では、彼が暮らしていたアメリカではどうなのでしょう。


あるドラッカーの研究者の方に伺ったら、彼の書籍の出版部数を人口で割ったら、アメリカ全体の中でドラッカーを読んでいる人の割合は、日本のそれの3分の1くらいなのだそうです。


この数字にも驚きましたが、もっと「あれ?」と思ったのは、それだけドラッカーを読んでいる人が多いのに、日本ではアメリカほどベンチャー企業が起こらないのは、どうしてなのだろう、ということです。



アメリカと連合王国の研究者などからなるグローバル・アントレプレナーシップ・モニターというプロジェクトチームによる、起業活動に関する国際比較のデータがあります。


それによると、アメリカの起業活動率(2013年度調査)は12.7%。対する日本は3.7%と、なんとその半分以下です。


つまり、日本のドラッカー愛読者の割合はアメリカの3倍でも、起業する人は2分の1以下だというわけです。


理由は明白でしょう。



どれだけドラッカーを読もうと、日本では「すばらしい本だ!」の段階でストップしてしまっているから。


そこから得た知識やアイデアを自分に合った形に修正して、実行に移さないケースがおそらく圧倒的に多いのです。


厳しい言い方をすれば、とりあえずドラッカーを読んだものの、自分の頭で考えていないのです。


ただ読んで満足しているだけの状態は、「この店から過去に何回も5億円の宝くじが出ました」と言われて、そこでひたすら買い続けるような営為です。


言葉をそのまま鵜呑みにして、まったく自分の頭で考えていない。


これでは、一生宝くじを買い続けても、当たらないまま死んでいく確率のほうが高いと思います。



ドラッカーに限らず、インプットした知識は、あくまでも自分の人生の参考にすぎません。


それを材料にして、自分の頭で考える。

そこではじめて、獲得した知識が自分の血となり、肉となる。



インプットしたら即効アウトプット(言語化)する。



さまざまな勉強法が存在していますが、これこそが、確実に力がつく一番の方法なのではないでしょうか。