この世界は偶然の産物です。
そして、私たち1人ひとりの人生も、いろいろな偶然の積み重ねによってつくられていると言ってもいいでしょう。
どんなときでも
「人生を楽しめる」言葉
ウイーン生まれのユダヤ系の宗教哲学者に、マルティン・ブーバー(1878〜1965)という人がいます。
若いころにはシオニズム(ユダヤ人のパレスチナ復帰運動)にも参加。
その後、運動から離れ、研究生活に入り、フランクフルト大学の教授として、比較宗教学などを教えていました。
しかし、ユダヤ系ゆえに、ナチスの台頭で公式の活動を一切禁止され、1938年にパレスチナに移住。
ヘブライ大学で教鞭をとりながら、その地で一生を終えます。
ブーバーの思想を一言で言うと、
「自分」という存在を、目の前の現実との関係性の中から捉えようとすること。
「自分とは何者か?」と言うとき、私たちはひたすら自分の内面だけを見つめがちですが、そうではなく、周りとの関係から自分を探っていくというのがブーバーの考え方です。
言ってみれば、「関係性」を重視したのが、ブーバーという哲学者なのです(それには、彼が若いころに傾倒したユダヤ教神秘主義・ハシディズムの影響も色濃くあったようですが)。
そのブーバーが、代表作『我と汝・対話』で書いているのが、
「すべての真の生とは出合いである」
という言葉です。
つまり、私たちの人生は、つまるところ、すべて出合いである、と。
そして、そうした出合いを通して、人生はどんどん変化していく、と。
関係性を重視したブーバーならではの言葉です。
私たちの人生は、ブーバーの言うように、そのときどきの出合いによって変化し続けていきます。
そうしたいわば川の流れに身を任せる生き方が一番いいと私は思っています。
変化を受け入れ、川の流れのままに流されて生きていく。なぜなら、人間の力では、そのときどきの流れを変えることは難しいからです。
そのことを私は、しばしば凧揚げにたとえています。
「風が吹いていないときは、凧は揚がらない」
凧揚げをしようとしても、その場所に風が吹いていなければ、どんなに必死になって走っても、あるいは、ものすごくよくできた高性能の凧であっても、揚がってはくれません。
一方、その場所にいい風が吹いていれば、こちらがそれほど頑張らなくても、凧はスイスイ飛んでくれます。
人生もこれと同じです。
風が吹いていないときは、何をやってもダメだし、逆に、風が吹きはじめたら、何をやってもたいていうまくいく。
だから、今は風が吹いていない時期だと思ったら、ジタバタとムダな抵抗をしないで、淡々と過ごしていく。
ただし、いつ風が吹くかは誰にもわからないので、風がいつ吹いても全力で走れるよう平素から準備をしておくことが大切です。
場合によっては、風がそのままずっと長い間吹かないこともあります。
とはいっても、「まったく人生に希望が持てない」などと暗澹たる気持ちにはならないでください。
風が吹いていなくても、その中で人生を楽しめばいいのです。
時間はたっぷりあるので、いろいろなことができます。
逆に、風が吹きはじめたら、やることがたくさん出てきてそんな暇もなくなりますから。
古典的は名著の多くは、作者が不遇な時代に書かれています。そして、そのまま日の目を見ずに一生を終えた人も多いことでしょう。
私たちは、そういう人たちをついつい「不運な人生」と思いがちです。
でも、それはこちらが勝手にそう思っているだけで、本人たちはそれなりに人生を楽しんでいたのではないかと、私は思うのです。
