「五蘊皆空(ごうんかいくう)」が、『般若心経』に説かれる内容を一言で表した心臓部です。
有名な「色即是空(しきそくぜくう)」もこの一部分に過ぎません。
五蘊とは
五蘊とは、人間を構成している5つのものです。
「蘊」とは、積集(しゃくじゅう)ということで、集まりのことです。
その5つとは、
色蘊(しきうん)
受蘊(じゅうん)
想蘊(そううん)
行蘊(ぎょううん)
識蘊(しきうん)の5つです。
それぞれどんな意味かというと、
「色蘊」とは、肉体や、その他の物質のことです。
「受蘊」とは、苦楽を感受する働きです。
「想蘊」とは、認識する働きです。
「行蘊」とは、意思をはじめとする、受蘊、想蘊以外の心の働きすべてです。
「識蘊」とは、心のことです。
このように、色蘊は肉体や世界、受蘊・想蘊・行蘊は心の働き、識蘊は心のことですので、五蘊とは、心身のことです。
その五蘊は「皆空」である、というのが「五蘊皆空」です。
皆空とは
「空」とはどんなことでしょうか?
それを知るには、仏教の根幹である、因果の道理を知らなければなりません。
簡単にいえば、因果の道理とは、この世のすべては、因と縁がそろって生じている、ということです。
これをお釈迦さまは、こう説かれています。
一切法は因縁生なり。
「一切法」とは万物のことです。
因縁生とは、因と縁がそろって生じている、ということです。
「因」とは直接的な原因で、
「縁」とは間接的な原因のことです。
例えば、米という結果を得るためには、因はモミダネです。
ところが、モミダネを机の上に置いていても、米にはなりません。
他にも、水や土、温度、栄養など、色々なものが必要です。
これらを縁といいます。
因だけでも結果は起きませんし、縁だけでも結果は起きません。
すべてのものは、因と縁が結合して生じている、ということです。
したがって、一切に固有の実体はありません。
例えばパソコンにも固有の実体はありません。
色々な部品が組み立てられて、一時的にパソコンになっていますが、分解すると、パソコンはなくなります。
しかし無になるのではありません。
ディスプレイやキーボード、演算処理装置、記憶媒体などの部品になります。
それらの部品も、一時的にディスプレイやキーボードなだけで、分解すると、ディスプレイもキーボードもなくなります。しかし無になるのではなく、別の何かになります。
現代物理学では、そうやって分解していった一番小さい要素は、素粒子になります。
素粒子には大きさはありません。
ではなぜこの世に大きさがあるのかというと、大きさのない素粒子の相互関係によって、大きさのある世界ができています。
つまり、物理学でもこの世に実体はないのです。
従って、五蘊にも実体はありません。
私たちの心にも体にも、実体はないのです。
これは仏教の根幹である因果の道理から必然的に出てくることです。
観音菩薩は因果の道理にしたがって六波羅蜜を実践し、五蘊皆空と知らされ、一切の苦しみの解決を体験されたのです。
