二分割思考は、あまり知能の発達していない動物的な発想法といえる。
二つの可能性しか考えられないのだから、知能が低い動物でも可能なのだ。
二分割思考とは、白か黒かにはっきりと分けて、中間のグレーを考えない思考のことだ。
ここに草があったとする。
その草は少し食べたら「薬」になるが、たくさん食べたら「毒」になるものだとしよう。
この草を動物は食べるだろうか。
動物の群れの一頭が、この草をたくさん食べて死んでしまうと、動物は二度とその草は食べなくなる。
「少し食べるだけなら薬になる」という高度な知的判断が動物にはできないのだ。「この草は毒」と決めつけて、食べなくなる。
白か黒かをはっきりさせたほうが、種の保存には有利だ。食べなければ死なないのだから、食べないことを選ぶ。
人間は、フグのような毒をもった魚でも、毒を取り除けば食べられるということを理解できるが、動物の知能ではそう考えることができない。
動物には黒と白の間のグレーゾーンは判断できないのだ。
人間はグレーゾーンを認識することができる。それを心理学では、「認知的複雑性」「認知的成熟度」などと言う。
人間は、白か黒かに分ける単純思考ではなく、「こういうときは白」「こういうときは黒」「白の部分もあるけど黒の部分もある」「白と黒の間だが、白に近い」などという複雑な考え方ができる。
とはいえ、子供のうちは、まだ知能も発達しておらず、動物に近い要素があるので、グレーの部分は教えないことが多い。危険なものに関しては、「これはダメ」と言って近づかせない。
たとえば、赤ちゃんのうちは、ハサミは危ないから、ハサミには近づかせないようにする。
でも少し大きくなったら、近づいてもいいけれど触らないように教える。
もう少し大きくなったら使い方を教えて、「こういう使い方はいいけど、こういう使い方はダメ」と指導していく。
このようにして、知能の発達に応じて少しずつ認知的複雑性を持たせていく。
「ハサミは道具にもなれば凶器にもなる」という複雑な事情を教えていくのだ。
小学生がいじめなどをするときに、友達を「敵」と「味方」と二つに分けて考えてしまうのも、知的能力が発達していないからやむを得ない面もある。
そこで、発達に応じて大人たちが、「あの子には、いい面もある」と教えていって、幅広い視点から見られるようにしていってあげることが必要になる。
そのような認知的複雑性を育ててあげると、「いじめたい」という感情もコントロールできるようになってくる。
知的に成熟してくると複雑な思考ができるようになり、感情もコントロールできるようになる。
ところが現実には、大人になっても二者択一の二分割思考をしている人は少なくない。
だから、「味方でなければ敵」というような単純な決めつけをしてしまう。
それはまだ発達が不十分であるか、あるいは感情に左右されて、本来持っている高度な知能が生かされていないということだ。
グレーゾーンを考えられなくなってきたら、「ああ、今、私の脳は感情に支配されてしまっているのかもしれない」と疑ってみてもいいだろう。
