日本には「我慢しない人」を軽蔑する文化がある。
そして、「我慢強い人」を褒め称える文化がある。
どんなに不満があっても、どんなに理不尽な状況に置かれても、それを耐え忍ぶことを美徳とし、耐えしのいだ先こそ「成功」が待っているかのような言説がまかり通っている。
ほとんどマインドコントロールに近い不条理なこの呪いが、この国全体を覆っている。
その原因は何か?
「学校」なのである。
旧態依然とした学校教育の中で、日本人は洗脳されている。
やりたいことを我慢し、自分にブレーキをかけ、自分の可能性に蓋をすることを推奨する恐ろしい洗脳が、白昼堂々なされているのが今の学校なのだ。
一般的な学校教育を受けた人たちは皆、「いざという時」のために学校に通わされ、役に立つのか立たないのかわからない勉強をさせられてきた。
その間はもちろん、やりたいことを我慢し、やりたくないことも受け入れるしかなかった。
たとえば受験、就職、キャリアステップ。あるいは結婚、出産、子育て。
さらには定年退職、老後。
学業だけではない。多種多様な「いざという時」に備えて今は我慢しない、というのが大人たちの理屈だ。
これは、「貯金」や「保険」とまったく同じ考え方だ。
買いたいゲームがあり、欲しい天体望遠鏡があるように、「将来のために」とお年玉を貯金させられる。
今の欲望を我慢して、ありもしないリスクに備えて貯金させられる。
あれとまったく同じ構造である。
問題は、この「貯金」的な学び方、我慢の仕方が、学校を卒業してもずっと人を縛るものだということだ。
「やりたいけど、やらない」人たちの脳裏にあるのも、「自分はまだ実力不足だから」という自己否定に他ならない。
やりたい、動き出したい気持ちはある。
右足はなんとなくアクセルペダルを踏んでいる。
でも同時に、左足でブレーキペダルをベタ踏みしている。しかし、そのことに気づけない。
我慢が習慣化しているからだ。
学校教育が作り出すのは、こうした無自覚の習慣に他ならない。
貯金の本質は我慢である。
そして99%の我慢は、ただの思考停止にすぎない。
