最期の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、最期の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。
なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。
そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。
そのに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。
被収容者は、行動的な生からも安逸な生からもとっくに締め出されていた。
しかし、行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。
そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。
苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。
苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。
〜夜と霧より〜
