私たちの心の中には常にいろいろな欲望がうずまいています。


「人間の欲望」のたちの悪いところは、どこまでいっても果てしなく湧いてくるところです。


その手のすべての欲望を完全に満たしきることは、ほぼ不可能です。


ある欲望を満たした途端に、必ずすぐに次の欲望が生まれます。もっとあれを、もっとこれをと、必ず何かが欲しくなってくるものです。


そのため、いったん自分の幸福を求め始めた人間は、どこまでいっても心の底から満たされることはありません。

何か足りない、どこか満たされないという欠乏感を常に感じてしまうのです。


誰もが自分の幸せを願っている。

そして、それをたとえば名誉や物質やお金によって求めることができると信じてしまっています。

けれど、どこまでいっても、何を得ても、欲望に限りがなければ行きつく先はありません。


それでは、なぜ、欲望に際限がないのでしょうか。


「欲望こそが現代社会を成り立たせている一つの本質だからだ」ということができるでしょう。


現代社会は情報社会といわれます。

それは、情報というものによって欲望を自由に作りだしていくことができる社会です。


たとえば、「いまこのタレントがすごい」「この商品がすごい」「これをやっていないと時代遅れである」といったイメージの情報をある人が作って流します。そのイメージで欲望を作りだしていくのです。


これがないと食べていけない、これがないと生活できないといった自然の欲求から生まれてくる欲望ではありません。

人間の欲望の多くは、情報によって産出された欲望です。


情報を流すことにより生み出すことができる欲望に、私たちは翻弄されながら生きていると言っていいのではないでしょうか。


それを満たすことが本当に必要かどうかにかかわらず、これが欲しい、それがないと落ち着かないというような欲望を情報イメージによってつくりだすことができるのが現代社会なのです。


次々と生み出されていく情報や商品により、私たちの欲望は絶えず刺激され、肥大化し、膨張し続けていきます。

その中で欲望ゲームの虜になってしまった現代人は、どこまでいっても欲望を満たそうとし続けるほかなくなってしまうのです。


その結果、いつも何か足りない、満たされないという欠乏感につきまとわれることになってしまいます。

物質的に満たされているはずの私たち現代人の心が乾ききっているのは、このことも大きな影響を与えているのです。