私たちの心の中には、どうなりたいとか、どんなことをしたいとか、何が欲しいといった欲求や願望があります。
それを実現して幸福になれる人もいますが、やはり、人生そう甘くはないわけで、たいていは思い通りにならずにつらい思いをします。
「なりたい自分」になれないし、「欲しいもの」は手には入らない。
自分がイメージしていた人生はいっこうに訪れない。
心の中が不満でいっぱいになって、こんな人生に何の意味があるのか、ただ苦しいだけじゃないか、などと思うようになります。
自分ではどうすることもできない苦難や災難が降りかかってきて、こんな人生、最低だという心境になる人もいるでしょう。
人生というのは不思議なもので、一つ悪いことが起こると、これでもか、これでもかと、悪いことがたて続けに起こってきます。
たとえば、リストラで仕事を失い、経済的困窮がもとで奥さんと子供が実家に帰ってしまう。
そうした心労とストレスによってうつ病になり、そのうえ両親も病気で介護が必要となる。
といったようにつらい出来事が続けて起こることが少なくないのです。
こんな状況の時、人は、天に向かって問いを投げかけます。
「いったい、なぜ、私がこんな目に遭わなくてはいけないのか。こんなことにどんな意味があるというのか」と。
しかし、こうした人生への嘆きに対して、まったく異なる視点から人生をとらえ直すことを提案します。
なぜなら、「人生の意味」についての嘆きは、その問いの立て方そのものが誤っているからです。
というのも、「人生を意味」は、そもそもこちらから問うことのできるものではないからです。
「人生の意味」は、私たちがそれを問い求めるのに先立って、常に、そしてすでに人生のほうから送り届けられている。
私たち人間がなすべきことは、生きる意味はあるのかと「人生を問う」ことではなくて、人生のさまざまな状況に直面しながら、その都度、「人生から問われていること」に全力で応えていくこと、ただそれだけなのです。


