●内容紹介●
人形は鏡です。恐ろしいほどに作った人の心の状態を映し出し、それを見る人の心をも映し出す鏡です。当代に異彩を放つ人形作家が幼時を過ごした満州のこと、生別した母への想い、創作のうちに観じた人と美の本然の姿を述懐する味わいふかい自伝風エッセイ。
●目次●
本文 179
文庫のためのあとがき 189
本文挿絵・辻村ジュサブロー
●著者●
辻村寿三郎(つじむら じゅさぶろう、2000年、辻村ジュサブローを本名に改める)
昭和8(1933年)、満州(中国東北部)錦州省朝陽に生まれる。三十人近い芸者をかかえる料亭に育ち、幼い頃から布きれの持つ魅力にひかれ親しんだ。19年に広島市に引き揚げ、原爆投下の4か月前に三次に移る。30年、演劇を志して上京、劇団人形座や歌舞伎小道具「藤浪」など各種職業を転々としたのち、人形制作に専念する。51年にNHKテレビ人形劇「真田十勇士」で芸術選奨放送部門新人賞を受賞。代表作には「新八犬伝」「たけくらべ」「吉原」があり、著書に『兎夢』『万華鏡花』『人形作品集』などがある。舞台衣装、演出の分野でも活躍。
購入はかなり前。少し読んで中断していました。
「新八犬伝」放送の報に触れ、思い出し、読了。
「本は読むべき時に読むことになる」という確認ができた気がします。
副題「自伝随想」に違うことなく、自身の生い立ちと人形への思いが、平明な文章で綴られています。200頁に満たない本ながら、何度まばたきを忘れ、深く嘆息させられたことか。
戦後、人形づくりは女性の分野とされた時代から、周囲の目も気にせず人形づくりに没頭し、途中で様々な道を歩んでは、自分の人形づくりへの情熱を再確認する結果となっていく。著者にとって人形づくりとは、自分自身と向き合い続ける苦行であり、人間とは何かという問いを求める遍路。これは一人の求道者の告白である。そう感じました。
芝居の小道具の根本は、本物に似せて作ることではありません。小道具が芝居で本当に効果を発揮するためには、場合によってはうそ物を通して本物よりももっと本物に見えなければならないということです。舞台の上に本物の石を置くよりも、小道具の石を置いた方が石らしく見えなければ、小道具の意味がないのです。それに忘れてならないのは、舞台の上でくりひろげられるのは芝居であって、現実ではないということです。歌舞伎の舞台には書割だからこそ合うので、本物の松の木を持ち込んだりしたら、かえって幻想が破れてしまいます。芝居は、ひとつの夢幻を作り出すための約束ごとなのですから──。ニセモノを見せることによって、真実感を作り出していく小道具の本質は、そのまま芝居の本質に通じています。 (89頁)
おごりの心のために、自分自身も、ものも見えなくなっている状態が、私にとってもっとも創造性が失われているときだと私自身考えています。おそらく、この点での自分自身との闘いを、私は一生続けなければならないでしょう。創造的な仕事をする者はハングリーでなければならない、という言い方も、その当否はともかく、生活をおごらせてはいけないということ以上に、心をおごらせてはならない、という意味あいが強いものとして、私は受取っています。おごってしまっている心には、日々の驚きや発見がなくなってしまいます。驚きと問い、そういったものがないところでの創造的な仕事は考えられません。 (140頁)
好きは嫌いに通じ、美醜は裏表であり、真偽は背中合わせであり、自他は一体である。
人形が好きな方は勿論、ものをつくる──とりわけ三次元の創作をする方、身体で何かを表現する方には、是非読んでいただきたい一冊です。
人形曼陀羅―自伝随想 (中公文庫)/中央公論社

人形は鏡です。恐ろしいほどに作った人の心の状態を映し出し、それを見る人の心をも映し出す鏡です。当代に異彩を放つ人形作家が幼時を過ごした満州のこと、生別した母への想い、創作のうちに観じた人と美の本然の姿を述懐する味わいふかい自伝風エッセイ。
●目次●
本文 179
文庫のためのあとがき 189
本文挿絵・辻村ジュサブロー
●著者●
辻村寿三郎(つじむら じゅさぶろう、2000年、辻村ジュサブローを本名に改める)
昭和8(1933年)、満州(中国東北部)錦州省朝陽に生まれる。三十人近い芸者をかかえる料亭に育ち、幼い頃から布きれの持つ魅力にひかれ親しんだ。19年に広島市に引き揚げ、原爆投下の4か月前に三次に移る。30年、演劇を志して上京、劇団人形座や歌舞伎小道具「藤浪」など各種職業を転々としたのち、人形制作に専念する。51年にNHKテレビ人形劇「真田十勇士」で芸術選奨放送部門新人賞を受賞。代表作には「新八犬伝」「たけくらべ」「吉原」があり、著書に『兎夢』『万華鏡花』『人形作品集』などがある。舞台衣装、演出の分野でも活躍。
購入はかなり前。少し読んで中断していました。
「新八犬伝」放送の報に触れ、思い出し、読了。
「本は読むべき時に読むことになる」という確認ができた気がします。
副題「自伝随想」に違うことなく、自身の生い立ちと人形への思いが、平明な文章で綴られています。200頁に満たない本ながら、何度まばたきを忘れ、深く嘆息させられたことか。
戦後、人形づくりは女性の分野とされた時代から、周囲の目も気にせず人形づくりに没頭し、途中で様々な道を歩んでは、自分の人形づくりへの情熱を再確認する結果となっていく。著者にとって人形づくりとは、自分自身と向き合い続ける苦行であり、人間とは何かという問いを求める遍路。これは一人の求道者の告白である。そう感じました。
芝居の小道具の根本は、本物に似せて作ることではありません。小道具が芝居で本当に効果を発揮するためには、場合によってはうそ物を通して本物よりももっと本物に見えなければならないということです。舞台の上に本物の石を置くよりも、小道具の石を置いた方が石らしく見えなければ、小道具の意味がないのです。それに忘れてならないのは、舞台の上でくりひろげられるのは芝居であって、現実ではないということです。歌舞伎の舞台には書割だからこそ合うので、本物の松の木を持ち込んだりしたら、かえって幻想が破れてしまいます。芝居は、ひとつの夢幻を作り出すための約束ごとなのですから──。ニセモノを見せることによって、真実感を作り出していく小道具の本質は、そのまま芝居の本質に通じています。 (89頁)
おごりの心のために、自分自身も、ものも見えなくなっている状態が、私にとってもっとも創造性が失われているときだと私自身考えています。おそらく、この点での自分自身との闘いを、私は一生続けなければならないでしょう。創造的な仕事をする者はハングリーでなければならない、という言い方も、その当否はともかく、生活をおごらせてはいけないということ以上に、心をおごらせてはならない、という意味あいが強いものとして、私は受取っています。おごってしまっている心には、日々の驚きや発見がなくなってしまいます。驚きと問い、そういったものがないところでの創造的な仕事は考えられません。 (140頁)
好きは嫌いに通じ、美醜は裏表であり、真偽は背中合わせであり、自他は一体である。
人形が好きな方は勿論、ものをつくる──とりわけ三次元の創作をする方、身体で何かを表現する方には、是非読んでいただきたい一冊です。
人形曼陀羅―自伝随想 (中公文庫)/中央公論社
