常識をもつ人ならだれでも、目の混乱には二とおりあり、そして二つの原因から生じることを思い出すであろう。すなわち明るいところから暗いところへ入ったために生じるか、または暗いところから明るいところへ入ったために生じるかである。これは心の目についても身体の目についてとまったく同じく、真である。そして、このことを覚えている人ならば、洞察力の混乱し弱まっている人を見たときに、そうむやみに笑えないだろう。彼は、その人の魂がより明るい生活から暗い生活へ入り、それで暗さに慣れていないゆえに見えないのか、あるいは暗闇から白日のもとへもどったので、あまりの明るさのために目がくらんでいるのか、どちらであるかをはじめに問うであろう。そして、彼は一方を健康や境遇において幸せであるとし、他をあわれむだろう。あるいは、もし彼が闇から光のもとへ来た魂を笑うような心の持ち主であれば、この場合を笑うほうが、上方の明るいところから穴ぐらの闇へもどって来た人を迎えて笑う場合に比べればまだしも理由があるだろう。
プラトン 「国家」
プラトン(古希: Πλάτων プラトーン、羅: Plato, Platon 紀元前427年 アテナイ- 紀元前347年 )は古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子でアリストテレスの師。祖父の名前にちなみ「アリストクレス」と名付けられたが、体格が立派で肩幅が広かった(古希: πλατύς)ためレスリングの師匠であるアルゴスのアリストンにプラトンと呼ばれ、以降そのあだ名が定着した。
若い頃は政治家を志していたが、やがて政治に幻滅を覚え、ソクラテスの門人として哲学と対話術を学んだ。紀元前399年、アテナイの民主派によってソクラテスは、「神々に対する不敬と、青年たちに害毒を与えた罪」を理由に裁判にかけられ、死刑を宣告され、毒杯を仰いで刑死する(この裁判の情景を描いたのが『ソクラテスの弁明』)。
紀元前387年、アテナイ郊外に学園アカデメイアを設立した。アカデメイアでは天文学、生物学、数学、政治学、哲学などが教えられた。そこでは対話が重んじられ、教師と生徒の問答によって教育が行われた。弟子にあたるアリストテレスは17歳のときにアカデメイアに入門し、そこで20年間学生として、その後は教師として在籍した。プラトンとアリストテレスの思想は西洋の哲学の大きな源流となり、その理想とした社会像は共産主義におけるプロレタリアート独裁にも深い影響を与えたとされる。
初期のプラトンは『敬虔』や『勇気』といった古代ギリシアの伝統的な徳とは何か、それは教えられるものかどうかを探求したが著書の中では直接答えは与えられない。中期には世界を、目に見える現実の世界『現実界』と、そのもとになる完全にして真実の世界『イデア界』に分けるイデア論を展開した。
プラトンは初めて理論的に人間の心を考えようとした人物であり、魂の三区分説を以って人間の心の動きを説明しようとした。人間を霊魂(心)と身体(肉体)に分けて考えている。
晩年のプラトンは著作とアカデメイアでの教育に力を注ぎ、紀元前347年(紀元前348年とも)80歳で死去。
混乱し、弱まっている人を笑うことは、自分が良識ある人に笑われる対象となる。他にも多くのことに思いを馳せるきっかけとなる問い掛けに思えます。
俗諺?標語?の 「子供しかるな 来た道じゃ 年寄わらうな 行く道じゃ」 を思い出しました。
因みにこの文は『アルジャーノンに花束を』(ダニエルキイス/早川書房)の冒頭文に使われています。この作品を表すのに、これほど適した文章も他に無いのでは。
