「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。
では「苦労」は、した方がいいものなのでしょうか。
自省すると、苦労には「覚醒の手段」という面があると感じます。覚醒は「気づき」と換言しても良いでしょう。では何に「気づく」のか。
自分なりの表現をするならば「世の法則」とでも名付けましょうか。それは法律や倫理観のように、時代や地域に左右されるものではなく、その存在を信じる・信じないは自由として、確かにこの世に存在するルール。
例えば「生物はいつか死ぬ」とか「種を蒔かなければ芽は出ない」とか、むしろ当然過ぎて、日常では見落としているようなこと。「言葉・概念」としては耳にし、知っていても、「実体験」として味わっていないこと。
(ひと言で明確に「こういうものだ」と言い切れませんが、消去法で概念を浮き彫りにすることは出来そうな気がします。が、それは主眼ではないので、ここでは割愛)
そのルールにどの領域までを含むのか──「情けは人のためならず」(人に親切にしておくと巡り巡って自分に恩恵が帰ってくる)とか、「人を呪わば穴二つ」(人に悪意を向けると自分に良くないことが起こる)などは含めるのか──それを個々人の価値観と呼ぶのではないか、と思います。
苦労には「知識と現実とを照らし合わせ、それが真実かどうか確認する」という面があるのかも。「苦労」を「徒労」で終わらせるのか、「成長の糧」にしていけるかは、きっと、自分次第。