白汀 ~シロキミギワ~


昨晩深夜、中西進「辞世のことば」(中公新書)を読了。
今夏、秋田に墓参した際、僕の名付け親であり、家を堅固に支えた伯父(父の一番上の兄・故人)の本棚から借りてきた本です。その最終章・最後の項が、俳人・飯田蛇笏の時世の句でした。



 誰彼もあらず一天自尊の秋



飯田蛇笏は、1885年(明治18年)山梨県東八代郡五成村(現笛吹市)の大地主で旧家の長男として誕生。
旧制甲府中学を経て、早稲田大学英文科入学。若山牧水らと親交を深め高浜虚子の主宰する『ほとゝぎす』にも投句。この時は玄骨と称す。虚子が俳句創作を辞め小説に傾倒するとともに俳句から遠ざかり、早大を中退し帰郷。その後、虚子の俳壇復帰と共に俳句の創作を再開。


1914年(大正3年)俳誌『キラゝ』の選者を担当。同誌の主宰者となり、誌名を『キラゝ』から『雲母(うんも)』に改める。1932年(昭和7)、処女句集『山廬集』を出版。故郷・境川村での俳句創作活動を続け、1962年(昭和37)77歳で没。忌日の10月3日を「山廬忌」という。


5人の男児をもうけたが、次男が病死し、長男・三男が戦死。四男の龍太(俳人。のち『雲母』を主催)が家督を継いだ。

大半が山梨の山間で創作した作品であり、句友と離れて暮らすその作風は孤高にして重厚、かつ剛直なものであったが、子供らの死によりそれは静穏なものへと変化していった。




中学校の教科書で、尾崎放哉、河東碧梧桐、高浜虚子、中村草田男、加藤楸邨、山口誓子、水原秋桜子などの名と共に見たことを憶えています。その時の句は失念しましたが「ダコツ」という音が、どうにも「骨」を想起させたことも。


 【笏】コツ ■意味■ しゃく。手板。官位ある者が礼装したときに帯のあいだにはさみ持ち、備忘のために君命などを書きとめたもの。日本では、骨と同音なのを避けて、笏の長さ一尺から、尺の音を借りて「しゃく」といった。(新字源)


名の由来は知りませんが、敢えて避けられた「コツ」という音を使用する辺り、蛇笏の死に対する姿勢を感じました。「多々ある中の一句に、作者の全てを見ることは極論かもしれないなぁ」と思いつつ「俳句って、そういう(その人の全てを表す)ものでしょ?」とも思います。イチブトゼンブ、ってやつですね。一部は全部で、全部は一部。


気になった句を幾つか挙げ、追悼とさせて頂きます。




 死病得て爪うつくしき火桶かな (『山廬集』昭和7)


 雪山を匐ひまはりゐる谺かな (『霊芝』昭和12)


 春めきてものの果てなる空の色 (『家郷の霧』昭和31)


 山中の蛍を呼びて知己となす (『椿花集』昭和41)