一個人が所持できる物の総数が決まっている、と仮定します。
これは単に「物理的に所持できる」ことではなく、例えば自室、倉庫、職場などに置いてある物も全て含めての話。その意味では「一個人が状況を把握し、有効活用できる物の総数」と言い換えた方がしっくりくるかもしれません。
とあるゲームには「インベントリ」という概念があります。
全てのアイテムには重量が定められていて、一キャラクタが持って歩ける量が決まっています。その許容範囲を超えた数(重量)のアイテムを持つと、体力回復速度の低下、歩行速度の低下、果ては移動不可能に。
それを現実に当てはめて考えると。
現在使っていない物、要らない物を手放すことで、僕たちは新しい物を手に入れる「枠」を獲得できるのではないだろうか。想像たくましくするならば、物の整理をすることで、新しい何かを手にする「チャンス」を獲得できるのではないだろうか、と。
物には(生命と言わないまでも)「思念」が宿っていると予感しています。長く大事に使った道具が、体の一部であると感じられる瞬間。目にすると大変だった時期や、交流していた友人を思い出す携帯電話。今は亡き親族の本棚にあった、傍線を引いた書籍。
「汝、それら全ての執着を捨てよ」とは思っていません。またそれが出来るとも、必要とも思っていません。ただ、バラバラに乱雑に“いっしょくた”に心の袋に放り込まれたそれらを、一つ一つ吟味し、取捨選択し、心身を軽くすることは、全ての人にとって有益なのではないでしょうか。
過去の思い出は優しく、現実は時に厳しい。
けれど「僕が生きているのは現実」という現実。
物の整理は、心の整理に繋がるのかもしれない。
そんなことを考えつつ、少しずつ家の掃除と物の整理をしています。