第5950号 好きな歴史上の人物いる? | 心ちゃんのブログ

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 今日も心ちゃんのブログにご訪問いただき、ありがとうございます。

 

このようなお題は苦手ですね。

 

 

 

まず気になるところは、「好き」の定義です。

この好きは、「LOVE」なのか?

それとも「LIKE」なのか?

 

 

 

そして、この問題の大前提である「歴史上の人物」について、

わたしは、当然のことながら直接は面識があるはずがありません。

そのような人物に対して、簡単に「好き」「嫌い」と判断してよいものかと?

 

 

 

歴史上の人物について、ごく表面的なことしか知りえません。

そして、その歴史的事実は、「真実」か?

語り継がれてきたその人物像は、その人を表す全てなのか?

 

 

 

否、現在、生存中の人物のことでさえ、一部のことしか知りえません。

自分自身のことでさえ、自分自身がよく分かっていないのですから、

他人のことなんて、ほんのごく一部、表面的なことしか知りえないのです。

 

 

 

教科書とかで教えられてきた肖像画が、「別人だった」という説が定説になることもよくあります。

本人が残している自叙伝的な書物であったとしても、誇張も含まれていることもあるでしょう。

他人の書物であったとしても、都合の良い解釈や偏った価値観や目線での記述がある可能性も大いにあります。

公平公正な立場の客観的な情報が書かれたと言えるものはごくわずかしか存在しないと思います。

 

 

 

直接知りえない人物を、「好き」とか「嫌い」とか理論するのは大変難しいことです。

生存中の方であったならば、直接会ったことがなくても、テレビなどの映像を通して知り得たならば、好き嫌いの判断材料の一部となりえます。

 

 

 

しかし、直接会っての情報に比較すれば、信頼度はかなり劣るものになりましょう。

直接でない映像の場合、編集によってミスリードさせることもできます。

それが意図した行為か意図しない行為かはあまり関係はありません。

 

 

 

ただ言えることは、

歴史に名を残した方、残らなかった方、数数多の人生があって、今日(こんにち)の世が成り立っているということです。

過去の誰か、一人でも「別の行動」、「別の発言」があったならば、少し違った今日(きょう)を迎えていたはずです。

 

 

 

「あの人みたいに」

 

 

 

そんな憧れや、好意。

また、時には嫌悪感や敵意を抱くことは誰しもが持ち合わせていることだと思います。

 

 

 

ある人に憧れていた時、

たまたま見てしまった憧れの人の言動で、興ざめしてしまったということも起こりえましょう。

またその逆も然り。

 

 

 

その人のすべてを知ることは、はっきり言って不可能です。

ごく一部の情報から、その人は「こんな人だろう」と、想像します。

 

 

 

 

 

「好きな歴史上の人物いる?」

 

 

 

 

正直に言って、「分からない」が答えでしょう。

「いるのか」、「いないか」も分からない。

 

 

 

「いる」という答えを出しても、

「なぜ」と訊かれても、その理由をわたしは見つけることが出来ません。

 

 

「いない」という答えを出しても、

「なぜ」と訊かれても、その理由をわたしは見つけることが出来ません。

 

 

「好き」という「答え」というか「問い」の「なぜ」に。

つまり、その「なぜ」を導き出した「根拠」を示すことは非常に難解で厄介なことだと思うのです。

 

 

 

結局、「何が言いたいの」というようなお話になっていますが...

 

 

 

ただ言えることが、あの歴史上の人物が「なぜ」あのような言動をとったのか?

いろいろ想像してみることは面白いと。

学校の教科書で習うからと言って、正しいとは限りません。

(真実と確認できるような事例ももちろん存在するでしょう。)

 

 

 

あれから何百年もの月日がながれ、今では「歴史上の人物」となった方々が、令和のこの時代に「好きか?」とブログのお題にされるなんて想像だにできていないでしょう。

 

 

 

こんな言葉があります。

 

「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」

 

と。

 

 

 

 

わたしは、何百年後かの遥か未来の世で、

 

「好きな歴史上の人物いる?」

 

というお題が提示された時、真っ先に名を挙げてもらえるようなそんな人物でありたいと。

 

 

 

「評価」を正当に行うことは困難を極めます。

不可能と言っても過言ではないでしょう。

誰しも、無意識にも「色眼鏡」で人を見ているものなのです。

このわたしも、もちろんその一人であることは言うまでもなくですが...

 

 

 

答えになっていませんね。

 

 

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