さぼりまくって何か月?今年は新しいこと続き。

仕事だけでなく、プライベートで怒涛の日々。

そして毎日SNSといっても、主にInstagramに雑多なことを綴っているのと、

ネット公開せずにツラツラと裏で執筆しているので、かなり目一杯。

 

しかしこの10月で丸2年キャリアアドバイザーの仕事に

携わっていることになり、個人情報に関わる仕事なので

個々人の話はもちろん胸の内に秘めていることなのですが、

いろいろ感じることがあり、ここでは自分なりの想いを綴ってゆきます。

無責任かもしれないけれど、会社が幸せにしてくれるわけでなく

どこかに所属すれば問題が解決するわけじゃないと思う。

 

 

一言でいえば、

 

********

みんな、オリジナルの仕事をしていこうよ!ってことです。

********

 

どこかの誰かが用意してくれた席にちょこんと座って居眠りしても

なんとなくお給料をもらっている。。。。ような人は、この時代いりませんし

そんなやり方では続けていけないからです。

 

あれ?永田町あたりにお爺さんがワラワラいる集団は

そんな輩もいるかもしれませんが、、、既に終わっていますね。笑笑

 

 

肩書がほしくて仕事をしているのでしょうか?

お金がほしくて仕事をするのでしょうか?

 

確かに、お金は生活するために必要です。

 

でも、それだけならわざわざエージェンシーに

登録しに面談などしなくてもいい。

 

近所の介護施設とか、ドラッグストアとか、

パン屋さんとか、スーパーの惣菜係とか

人手が不足しているところはたくさんあるし、

シフト制で適正な時給もらって

「空いた時間にちょこっと仕事」みたいなフレーズで

求人しているところは五万とあるし

何でもできるのではないでしょうか?

 

でも。

 

 

仕事って、そもそも、お金のためにやるものではない。と思います。

 

仕事を「ミッション」って名前に置き換えて考えると、はやい。

 

何を問題としていて、

何に悩んでいて、

何を改善していきたいと思っているか?

・・・を自分なりの

ミッションにできるんだと思います。

 

だから、

 

どん底を経験している人のほうが、

砂をかむような思いをした人のほうが、

それをネタにしてミッションを深められる。

 

 

「私なんか***ですから。」

と卑下してみたり、

「他のみんなはどうしていますか?」

なんて周囲の目を気にする必要なんてない。

 

 

誰も正解なんてもっていないのですから、

自分なりの仕事を探していくほうが幸せです。

 

もっといえば、自分なりのドラマがある人のほうが強い。

 

誰かと常につるんでいないと不安でいられず、

孤独が怖くて仕方なかったり、

自分の内面を見つめることがなかなかできない・・・・

だれかの指標にすがってしまう思考停止状態。

 

でも、それもまた認識すればいいんだと思います。

 

止まって、歩いて、走って、またつまづいて止まって。。。。

それでいいんだと思います。

 

 

希望をもって語る人は応援したい。

 

ミッションは希望だから。

それはマニュアルなんてないものだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

走行距離1519.3kmだなんて‼️

テーマ:
お盆休みは毎年普通に仕事。ですが、今年は横浜某所で打ち合わせの後、幼少期育った金沢区まで幼馴染に洗車してもらいに遠征。

彼の名前を仮にPと呼ぶけれど、何を隠そう小学生の頃、私はこのPのお父さんに勉強を教えてもらっていた。お父さんは某私立中高一貫校の化学の先生をされていた。と記憶しているけれど、とにかく理数系の温厚な人柄で、なんでそういう話になったか?は覚えてないけれど、ある期間、放課後はPの家のリビングに通い、Pと一緒に勉強していたこともあった。

そうして私は中二になったばかりの春、転校したので、それきりPの寺小屋通いは途絶えた。その当時はもう男女共に思春期で、何となく寺小屋通いという個人的なつながりを他の人に知られたくなくてわざわざ口外もせず、学校の廊下ですれ違ってもPと目を合わせるようなこともなく過ぎた。

巡り巡って時を経て、2年前共通の友達を亡くしたことで再び当時のつながりの何人かで連絡を取るようになった。

私より背の低いチビチビだったPが、ずいぶん見上げないと表情がわからないほど大きくなったのに、中身はまったくあの頃と変わらずで、人の成長とは何だ?と改めて考えることに。人間の原型は11.2歳には形づくられていて、そうそうは変わらないものなのかもしれない。

車の某メーカー工場に勤めてるPに、あれこれ聞いているうちに洗車と点検してくれることになり遠征。もう立派なオジさんだけど、私の記憶では気乗りしない顔して一緒に勉強していたPしか思い出せず、目の前の人と結びつかない。夢だと、同一人物なのに2人いる…みたいなこと、あるからそれに近いかも。

マイカー生活始まって1ヶ月半。ほぼ毎日乗って走る日々となっても、まだ車のことよくわかってない。そんな時期、幼馴染に洗車してもらえたのは、かなりラッキーなことでした。

お盆だし、天国からE君が、笑って見てる気もする。



via ハザマの森
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走行距離1519.3kmだなんて‼️

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お盆休みは毎年普通に仕事。ですが、今年は横浜某所で打ち合わせの後、幼少期育った金沢区まで幼馴染に洗車してもらいに遠征。

彼の名前を仮にPと呼ぶけれど、何を隠そう小学生の頃、私はこのPのお父さんに勉強を教えてもらっていた。お父さんは某私立中高一貫校の化学の先生をされていた。と記憶しているけれど、とにかく理数系の温厚な人柄で、なんでそういう話になったか?は覚えてないけれど、ある期間、放課後はPの家のリビングに通い、Pと一緒に勉強していたこともあった。

そうして私は中二になったばかりの春、転校したので、それきりPの寺小屋通いは途絶えた。その当時はもう男女共に思春期で、何となく寺小屋通いという個人的なつながりを他の人に知られたくなくてわざわざ口外もせず、学校の廊下ですれ違ってもPと目を合わせるようなこともなく過ぎた。

巡り巡って時を経て、2年前共通の友達を亡くしたことで再び当時のつながりの何人かで連絡を取るようになった。

私より背の低いチビチビだったPが、ずいぶん見上げないと表情がわからないほど大きくなったのに、中身はまったくあの頃と変わらずで、人の成長とは何だ?と改めて考えることに。人間の原型は11.2歳には形づくられていて、そうそうは変わらないものなのかもしれない。

車の某メーカー工場に勤めてるPに、あれこれ聞いているうちに洗車と点検してくれることになり遠征。もう立派なオジさんだけど、私の記憶では気乗りしない顔して一緒に勉強していたPしか思い出せず、目の前の人と結びつかない。夢だと、同一人物なのに2人いる…みたいなこと、あるからそれに近いかも。

マイカー生活始まって1ヶ月半。ほぼ毎日乗って走る日々となっても、まだ車のことよくわかってない。そんな時期、幼馴染に洗車してもらえたのは、かなりラッキーなことでした。

お盆だし、天国からE君が、笑って見てる気もする。



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沈黙も、必要でした。

テーマ:
8月スタート。この夏は酷暑ならぬ獄暑。

ずっと沈黙してた間、違う世界を見ていた。それも必要なことでした。車🚗に乗ってたくさん走って、かつてよく通った道を思い出したり、まったく知らない道に進んだり。流れてく景色も見覚えのあるものから、真新しいものまで。

車は乗せてもらうもの、という概念で、仕事をしていると平日は忙しくて電車移動が当たり前過ぎて、まったく自分が運転することなんて考えたこともなかったけれど。一念発起して生活を変えて本当に良かった。それはやっぱり必要不可欠なことでした。

毎日の時間構成がめちゃくちゃ変化したし、あんなに深酒しないと眠れなかったのに、ノンアルコールでグッスリ!なのも嬉しい。まあ夏の暑さにやられてるってのもあるけど。

ずっと立ち止まって同じことリフレインしていたのも、これを機に変化。決して忘れたわけではなく、次のステージに進まないとダメだって思うから。

車は🚗そんなふうに新しいライフスタイルを運んでくれました。まだ行きたいことも、やりたいことも、たくさん。仕舞っておいた書きたいことは、また少しずつ眺めながらアウトプットしていこう。


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今って何でもググると出てくるのは仕方ないけど…若いママに言われてビックリ。虐待されて亡くなった5歳のかわいい女の子。母親の再婚相手の男に虐げられて痩せ細り、5歳とは思えないほど悲しい言葉を羅列して手紙を遺した事件。

耳目を覆いたくなるけれど、本当に起こってしまった話。このやるせなさ、誰か動けなかったのか⁇どうして小さな命を守るべき大人が!という怒り。

遠い国の話ではなく、これ都会のど真ん中で起きたこと。その事件が起きた家まで特定されてしまう時代。

まさか目黒区って割と広いから、そこではないと思ってた。けど、そこは、私が21年前に住んでいた家のすぐ近所でした。あの角を曲がって…ってくらい近く。高級住宅街の中で単身者向けのアパートばかりで、私の住んでた頃は、のどかで平和な、都会なのに静かな街でした。

子どもの声はしなかったのだろうか?子どもが少ないから、少しでも気づくはず。まだあの街にもし住み続けていたなら、今回のような事件になる前に、何かできただろうか。

そもそも、あの街に住んでいるということは、今こうして成人した息子も存在してなかったわけで…とグルグル思い巡らす。

そうなのだ。あの部屋で、小さな姪っ子を何度かお泊りさせて一緒に過ごした時も、近所の酒屋さんに行って言葉を交わして、かわいいね!って言われた姪っ子。あの頃、下の子が産まれて間も無くで4歳か5歳だったかな。

小さな子がいたら目立つくらいの街で、あんな事件が起こった。もっと何かできたのではないだろうか。本当に悔やまれる。

夏至の日の夕焼け。

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