1905年(明治38年)に始まった第一次落語研究会で四代橘家圓喬が掛けたネタについては、個々の圓喬全集で紹介することといたしまして、ここでは有名無名実名仮名を問わず演芸誌に寄せられた落語研究会の評論を二つ紹介したいと思います。
落語鑑賞の一つの切り口として、お読みいただければ幸いです。
第一回落語研究会を観て、十年後の第百十三回研究会に臨んだ、正宗白鳥の随筆です。蛇足注は( )内に記し、新字新かなに直して全文引用いたします。
圓右の評価の件を読んで、あたくしは音源でしか知りませんが三代三遊亭金馬を思い出してしまいました。圓右・金馬ともに評価の分かれる噺家だったのでしょうかね。
次は幸兵衛という筆名の方の落語研究会第二回の評論です。少々癖のある文章ですが、蛇足注は( )内に記し、演者の評論部分を引用いたします。
この回には圓左も出ていたのですが、この幸兵衛さんが遅刻して圓左を聞き逃してます。
最後は明治45年ですから第八十回あたりの落語研究会の評論です。白猿という筆名の寄稿です。前段の文と演者と演目を記します。
このでもむらくが代演で二席してますね。(^^) この雑誌「語と浪速ぶし」巻末に読者からの投稿が記載されているのですが、面白い投稿がありましたので紹介いたします。
ここに登場した、圓童は後の六代三遊亭圓生、柳童は六代春風亭柳橋、小金馬は不明です。後の柳家金語楼が小金馬を襲名したのは、この雑誌の発行の翌年、1913年なのです。恐らく大成せず消えてしまったのでしょう。
他にも少年落語家はいたと思うのですが、この投稿者は中々に噺家を見る目があるようです。(^^)