タイトルにも書きましたが、小松光宏作の推理小説「すべて売り物」のネタバレがあります。ご注意ください。

 

すべて売り物 あらすじ

 春風亭楓枝ふうしの喉が急につぶれたと聞いた圓朝直弟子の三遊亭春朝はどうせ風邪でもこじらせたのだろう、くらいに考えていた。
 しかし、そのことを師匠の圓朝に話すと、詳しく調べろと命を受ける。春朝が調べると楓枝の喉がつぶれたのは寄席「大ろじ」で開催されている「柳・三遊芸演くらべ」で圓朝が『穴どろ』を掛けた日かららしい。その日の圓朝は高座が引けると次のお座敷のために軽い噺を掛け、楽屋で出された茶を飲まずにお座敷に向かったのだった。そして最近若手の間では流行っているのが、憧れの噺家が飲み残した茶を飲んでその芸にあやかる験担ぎだという。
 それを聞いた圓朝は、楓枝は圓朝が飲まなかった湯飲みを飲んで喉をつぶしたのではないか、と推理する。
 そして、「柳・三遊芸演競」の千秋楽。柳派の重鎮麗々亭柳橋が高座を終えて楽屋に戻ってくる、と入れ違いに前座が新しい鉄瓶を下げて高座に向かって飛び出した。戻ってきた前座の手には別の古びた鉄瓶。その小圓太という三遊の前座を楽屋の隅に誘って詳細を聞く春朝。なんでも、トリの圓朝師匠だから鉄瓶くらい新しいものに取り替えて差し上げろ。と、柳派の噺家に言われたという。ただし、初めてみる顔で名は分からないらしい。その時、出の片シャギリが聞こえてきて、春朝が進言する間もなく圓朝がトリの高座に上がってしまった。

 翌日、春朝が柳派分の割(給金)を届けに柳桜宅へ行くと、不穏な会話が耳に入ってくる。
「いいか聞いてろよ『さて、トリに上がりしは斯界の名人と誉れ高き圓朝。ところが如何。常日頃の鋭敏にして才気溢れる芸にも似ず、当夜は全くかぐわしからん。ところどころ声はかすれ目配り定まらず、登場人物のただ一人とて情が移らぬありさまに』……」
「そうそうその通り、ははは」
 どうやら昨夜の高座の新聞評を読んで、柳派一門が師匠圓朝のことを嘲笑しているのだった。春朝は悔しい思いを胸にしまい割を柳桜に渡すと逃げるように玄関を飛び出した。うしろからはすぐにカラカラという笑い声が聞こえてきて涙が出そうになった。
 確かに昨夜の高座は圓朝にしては不調だった。それというのも、高座に置かれた火鉢の鉄瓶から湯飲みへ白湯を入れることは、『心中時雨傘』のサゲまで、ただの一度もなかったためである。おかげで圓朝師匠の喉は涸れいつもの艶のある声は失われてしまった。それもこれも、楓枝の一件以来疑心暗鬼になっているためだ。師匠の高座後に鉄瓶を覗いたが全くの白湯だったのだ。春朝は真相を知っているが誰にもいえなかった。

 

 ここまでが序章といったところでしょうか。この後、春朝は師匠圓朝のため真実を探るべく奔走いたします。

 

 ある日並木亭の楽屋で春朝が憧れている圓朝の高弟、橘家圓喬に会います。(ここでやっと圓喬の登場です)圓喬の許しを得て、客席から圓喬の高座を勉強し、楽屋へ戻ってくると、圓喬の怒鳴り声が聞こえてきます。
 どうやら二つ目が圓喬の飲み残した白湯を飲もうとして圓喬に激怒されたようです。二つ目は必死に謝っております。 「圓喬師匠に申し上げます。お恥ずかしい真似をいたしました。どうかお許し願います。師匠の残された白湯をいただきましたのは、師匠のような巧い噺家に早くなれるようにとの験担ぎなので御座いまして……」
「だったらもっと稽古に精を出しやがれ」と圓喬はまた怒鳴りつけます。
 春朝が割って入ると、この二つ目は過去にも同じことをして圓喬に叱られたことが分かります。
「肺病を患っている俺の湯飲みが衛生に悪いってことは、口が酸っぱくなるほどこいつに言って聞かしてるんだ。今度が初めてじゃねえ」
 ともかく圓喬の湯飲みに水銀が入れられていなかったことに安堵した春朝でした。

 春朝が調べを進めると……。春風亭楓枝の喉が潰れたのはどうやら狂言で、単に声が出ない演技をしていたことが分かります。圓朝を疑心暗鬼にさせ評判を落とすことを目的としたようです。
 そのことを師匠の圓朝に伝えると「とんだ落とし噺だな。そのうち仕返しをしなきゃあな」と言ってホッとした表情を見せました。
 この一件もこれでしばらく落ち着くだろうと思っていたのもつかの間、春朝は我が耳を疑うような噂を耳にします。
 なんと、今回の首謀者あの楓枝が真打に昇進するというのです。実力を考えたら、まずあり得ない昇進です。柳派にとって憎き圓朝の鼻を明かした功績によるものに違いありません。日頃から反圓朝を標榜している席亭の顔も思い当たります。真打昇進披露をひと月後としたのも、論功行賞で三遊派への当てつけにもほどがあります。そこへ師匠圓朝から呼び出しの俥が迎えに来ます。
 圓朝宅では圓朝が話す出すよりも先に春朝から楓枝の真打昇進の件を伝えます。すると圓朝は、
「そうかい、先日わたしにとんだ落とし噺をくわせてくれた二つ目さん
(二つ目とありますが、この時代真打直前は三つ目が正しいと思います。上方はその先に四つ目がありましたが、東京では真打手前は三つ目でしょう)が、とうとう真打になりますか。それじゃあ、いよいよ何かお返しを考えなくちゃいけないな」
 その時が来たら自分も恨みを晴らすべく、師匠の手足となって働こうと誓う春朝でしたが、その決意もつかの間。自分を呼んだわけを圓朝の口から聞かされます。
「これからは春朝、ひとつ圓喬の元でしっかりやっておくれでないか」
 続けて圓朝はいう、
「わたしはこの頃ずっと新聞の速記などで忙しく、なかなか稽古も付けてやれず、高座を聴いてやることもできず、お前には申し訳なかったと思っている。前座でもないお前を便利にあれこれ使うのも末の弟子とはいえ、あいすまないことだ」
「何をおっしゃいます、あたくしは師匠のおそばにいさせていただけるだけでありがたいんで……」
「それはいけない。おまえにとっては今は真打を目指す大事な時期なんだ。圓喬なら噺も本格だし、これからは新しい師匠の元でしっかり芸を磨きなさい」
 取り付く島もありません。春朝は師匠の言葉には何か裏があるように思えて圓朝宅を辞去したのでした。

 ここまでで中盤の終了です。圓朝が考える仕返しとは? また、圓喬へ師匠替えさせた思惑とは?
 一旦切ります。