吉原の妓楼佐野槌が登場する落語といえば、『文七元結』にとどめを刺すでしょう。また、それ以外には知らないという方も多いことでしょう。かく言うあたくしもその内の一人でした。12年前に国会図書館で「佐野槌」を検索しましたところ、落語では『文七元結』以外に『備前徳利』と『木乃伊みいら取り』がヒットしました。そこで、古い速記を調べてみるとなるほど「佐野槌」が登場してました。
 ちなみに、現在国会図書館のサイトで「佐野槌」を検索いたしますと、401件ヒットしますが落語は上記三題のみです。このサイトは日々進化しており、今後検索結果も増えるでしょうが、「佐野槌」が登場する落語が三題というのに変わりはないと思われます。
文七元結』については、すでにご承知かと思いますので、簡単なあらすじにしておきます。

左官職の長兵衛は、吾妻橋で身を投げようとしていた若い文七を救うため、娘を吉原の妓楼佐野槌へ預ける代りに借りた五十両を与える。しかし文七の勘違いで金は置き忘れただけ。店の旦那は文七を連れて長兵衛に礼に行く。娘も旦那が身請けして、文七と娘は夫婦になり元結屋を開く。

 なんとも味気ないあらすじですね。130文字なのでX(旧Twitter)にも1回のポストで掲載できます。(^^)
 他の二題について少しだけ詳しく紹介させていただきます。
 次は『木乃伊取り』です。

若旦那が吉原の佐野槌へ遊びに行ったきり帰ってこないので、番頭を迎えにやった大旦那。しかし、番頭も帰ってこない。今度は鳶の頭を迎えにやるが、これまた帰ってこない。木乃伊取りが木乃伊になってしまう始末。
 大旦那夫婦は息子がこんななのは、お前が悪い、あなたが悪いと、言い争っていると、飯炊きの清造が自分が若旦那の首に縄をつけてでも連れて帰ると言って、いざ吉原へ。
 吉原では、若旦那を説得し帰る決心をさせるが「まあ、一杯だけは付き合え」と言われ、清造は一杯飲む……、さらに女にチヤホヤされて二杯三杯と盃を重ねすっかり酔ってしまう清造。
 若旦那に「そろそろ引き上げよう」と言われた清造。 「旦那少し待っておくんなせえ、たまんねえからもう二、三日居べえ」
 とまた木乃伊取りになりました。

 このあらすじは四代三遊亭圓生(立岩 勝次郎 1846~1904年)の1889年(明治22年)の速記『木乃伊とり』(速記者:酒井昇造)を元にしました。
 この速記に佐野槌は三カ所登場します。

 

 

  1. 茶屋は丸子尾張で行った先は佐野槌だよ(大旦那が鳶頭へ説明する場面)
  2. 江戸町二丁目の佐野槌の門口へニョッキリ立ちまして(清造が佐野槌を訪ねる場面)
  3. てめえのウチは佐野槌てェんだんべェ(清造が妓楼の若い衆に尋ねる場面)

 詳しくは別項で説明いたしますが、明治5年に佐野槌は江戸町二丁目から一丁目に移りました。噺の中に江戸町二丁目の佐野槌とありますので、明治5年以前に創作されたものかと思われます。
 この噺、速記を調べた限りでは五代圓生妓楼を「佐野槌」から「角海老」と変えております。もちろん六代圓生も「角海老」で演じてました。

 次は備前徳利です。

備前池田藩の片山清左衛門は大酒飲み。殿が主催の宴席で同じく大層酒好きの御大名の飲み比べで池田候に認められ三百石を拝領する。
 しかし風邪をこじらせ床に伏せってしまう。寿命を覚った清左衛門は、薬よりも酒を飲ませてくれという。
 臨終に際し、「名産の備前徳利に自分の姿を描いて後世に残したい」と願って歿してしまう。
 殿もこれを承知し清左衛門の絵を描いた備前徳利が作られると、これが大人気。倅の清三郎は父の跡目を継いで三百石で御近習を務めることになる。
 清三郎は殿のお供で江戸に出ると、吉原佐野槌の九重花魁に入れ込んでしまう。周りが意見しても父譲りの大酒で誤魔化し佐野槌へ入り浸り。
 ある夜、枕元に朦朧と父親が出て来て清三郎に意見をすると、ぷっつりと吉原通いをやめた。そのうちに父親は一緒に酒を飲もうといい出す。
「今はどこに居るのですか?」と聞くと、
「領国の四方という酒屋に買われて、酒を入れられている。お陰でこの頃は酒浸しだ」
 それからは毎晩毎晩の朦朧と現れる父親との親子酒。しかし、二,三日父親が姿を見せずに清三郎が心配していると、ある晩父親が現れる。
「どうしてたんです」
「イヤ倅、情けないことになった」
「どうなさいました」
「この頃、口が欠けたのでとうとう醤油徳利にされてしまった」

 1929年(昭和4年)「名作落語全集 第11卷(酒呑居候篇)」から七代三笑亭可楽(玉井 長之助 1886~1944年)を参考にしました。
 あまり演り手のないこの噺ですが、柳家小三治(郡山 剛藏 1939~2021年)の持ちネタでした。1988年にTBSの落語特選会の高座に掛けた時は「佐野槌」が出てまいりますが、2001年の朝日名人会の高座ではただ単に「吉原」とだけで「佐野槌」に言及はありませんでした。
 この『備前徳利』は原話は十返舎一九の「落咄口取肴」(1818年 文政元年)の中にある「徳利」という小咄で、それを一席の噺にするために、佐野槌へ意見しに来た片山家へ仕えている権平が酒を飲まされて「木乃伊取りが木乃伊になる」という場面をつかみ込んでます。なるほど同じ佐野槌が出てくるのも納得ですね。(^^)

落咄口取肴  十返舎一九
 しかし、文七元結』の佐野槌の女将があまりにも有名になりすぎてしまったため、『木乃伊取り』も『備前徳利』も今では「佐野槌」の登場はないようです。
 話は変わって、『文七元結』の最近の演出傾向として、左官の長兵衛を諭す佐野槌の女将に焦点が当たりすぎているように思います。従って女将の言葉がクサくなり、長兵衛に対して長々と説教をします。まあ、この項とは離れてしまいますので、次回圓喬全集を間に挟んで、圓喬の速記はないのですが、もちろん圓喬も演った『文七元結』について書きたいと思います。