六代三遊亭圓生が圓喬の『鰍沢』に関して語っていたことを拾ってみましょう。

 

  • 『文七』や『鰍沢』そういうものを多く継承して演ったのは四代目圓生なんですね。それを覚えたのが圓喬。私の耳に残っているのは、この圓喬の『鰍沢』ですね。(蛇足注:そして六代圓生へと受け継がれてます)
  • 圓喬さんのは、旅人が胴巻を出すところでおくまが『およしなさいよ』ッて言いながらひょッと見て、あ、野郎持ってやがンなという毒婦の感じがすッと目に出るんですね。それでふッと目をそらすところなんぞはもう至芸で、とても真似をしてもできませんが、いいところでしたね。(蛇足注:圓喬の速記でも、わざわざト書きで「ここでちょっと金へ目をつける」と書かれてます。それほど速記者の印象に残ったのでしょう)
  • 圓喬さんの速記で気が付いたんですが、旅人にお金を出されておくまが『ぬしがせっかく出したものを頂戴しないのも悪いから貰っておきますが、すまないわね』ッてところがあるんです。これは『すみません』てえのがあたりまえの言葉ですよ。それを『すまないわね』と言うところに私は圓喬という人はなるほどよく調べてあるなと思ったのです。私もそれを演ってるんですよ。花魁は客に無心をして、貰ったときに、どうもすみませんでした、ありがとうござんしたなんてえと、花魁の値打ちがないんですよ『すまないわね』ッてのはいけぞんざいヽヽヽヽヽヽな言葉のようで、おまえさんとあたしとは夫婦じゃないかという心持なんですね。どうもすみませんでしたッてえと他人行儀になる。(蛇足注:ここは圓朝の型をそのまま演じたとされる三遊一朝の速記でも「すみませんね」とあります。また、四代圓生も五代圓生もこの部分は特にお礼らしいことをお熊は口にしてません。この「すまないわね」という台詞は圓喬独自のものでしょう)
  • 玉子酒をこしらえるときに、「待ちなまし」と、花魁言葉が出て来ます。これは名人圓喬だけがやっていた演出で、あたくしもそれを覚えてやっているわけです。(コレはその通りで、圓朝の型の一朝も四代五代の圓生も花魁言葉はありません。圓喬・六代圓生がすごいのは、熊蔵丸屋の月の戸花魁と分かって以降、お熊の旅人に対する物言いが花魁言葉に変わります。これはお熊の企みを暗示させる、他の噺家にはない良い転換だと思います)
  • 吹雪の音を少々入れました。これはNHKでやったことがあります。この時は流れの音も入れました。きっと何か言われるだろうと思ってやったのですが、はたせるかな、人情噺にああいうことはすべきではない、という意見があり、一方では効果的だった、と賛否両論でした。旅人が笠のふちへ手をかけ吹雪を避けながらあたりを見廻し、手に息を吹きかけながら、お題目をとなえる、この形は圓喬もやり、あたくしもやっていますが、レコードではこの形と間が生かせません。その代りに今回は吹雪の音を入れたわけで、レコードは耳だけで聴くものですから、レコードなりの工夫があっていいと思います。しかし、流れの音は今度はやめました。ご安心ください。(蛇足注:この解説は圓生百席の覚え書として添付されているものです。効果音を入れましたが、ここは鳴り物でなんとか工夫して貰いたかったなぁ、というのがあたくしの感想です)


 さて、ここからは先日、憲坊法師さんにいただいた宿題、「おまはんだれ?」の前に圓喬のように「吃驚したこと」とあると、月の兎花魁の緊張感が消えてしまう。これについて圓喬・六代圓生の考え方を考察したいと思いますが、少々長くなりましたのでいったん切りますね。(^^)

 

鰍沢河岸 富士川舟運の要衝地