圓喬全集第五十六席【鰍沢】の前に、昭和の名人上手たちが圓喬の『鰍沢』をどう観ていたのか? 紹介したいと思います。昭和の名人上手、入門順に志ん生・文楽・圓生・彦六の四名はそれぞれに圓喬評を残しているのですが、今回はその中から圓喬伝説の『鰍沢』 について抜粋します。
まずは五代古今亭志ん生から、
志ん生が圓喬に惚れ込んだ瞬間でしょうか? この先が気になるところではありますが、この項とは趣旨がずれますのでいずれ機会を見て紹介します。
次は黒門町の八代桂文楽です。
ここで圓喬が『鰍沢』を演じたのは、関西へ移り住んだ二代圓馬が圓朝の年忌で久しぶりに帰京し、人形町末廣で興行を打ったときのものです。
圓朝の命日は8月11日です。従いまして圓喬はこの『鰍沢』を真夏の高座に掛けたのです。
黒門町はこの項を次のように締めくくっております。
黒門町は生涯『鰍沢』と『三味線栗毛』は高座に掛けませんでした。
長くなりましたので、圓生と彦六の正蔵については次回「その二」で申し上げることにいたしましょう。