別題は多く『京見物』『京阪土産の下』などが速記に残ります。  四代圓喬の速記は、1907年(明治40年)「研究会員落語あわせ」として出版されました。この二年前に発足した落語研究会で好評だった演目を岡鬼太郎が纏めたものです。速記は今村次郎です。演題は祇園會ぎおんえ、演者は三遊亭圓喬としてあります。
 圓喬の十八番、上方言葉(京言葉)と江戸言葉の掛け合いが出てまいります。  圓喬のサゲは、隠亡おんぼう(1.死者の火葬・埋葬の世話をし、墓所を守ることを業とした人。江戸時代、賤民身分扱いとされ、差別された。おんぼ。おんぼうやき。2.遊里で,遣り手の異名)に対して「私が死んだときに只で焼いておくれ」という『およく』と呼ばれるものですが、現在では賤民をさす隠亡が差別用語(自主規制)なので、多くの噺家は「白州の砂を掴んでみろ」……「首が落ちるんだ」でサゲてるようです。この解説に出て来た「おんぼうやき」は『目黒の秋刀魚』で「秋刀魚のおんぼう焼き」として、また『らくだ』では「落合のおんぼう」を出す噺家もあるようです。
 圓喬はこの噺の途中に「首が落ちるんだ」をクスグリとして登場させてます。その場面を紹介します。

 

 

喜六「金閣寺銀閣寺はどうだすエ」
江戸者「金閣寺だ銀閣寺だと大層なことを云うから行ってみたら、金も銀もありゃしねえ、みんな禿げて真っ黒になってやがる。禿げ何とかと名を変えたらどうだ」
喜六「無茶言いなはんな。御所の日の御門を見やはったか、日本一の御門や」
江戸者「よく日本一日本一というな。そりゃ御所といえば尊いには決まっているが、江戸へ行きゃ大きな門はいくらでもあらア。あのくらいの門を見て驚いているようじゃア、江戸へ連れてって丸の内へへえって見せようもんなら、頓死をしなけりゃならねえ。くすの一枚板の門もありゃ、紀州様の達磨門
(門扉の木目が達磨に似ていたため達磨門と称された。千代田区紀尾井町の諏訪坂は当時達磨坂とも称された)だの、霞ヶ関の安芸、黒田、桜田の掃部かもん様、水道端の水戸様の門なんざァ五人や十人じゃァ開閉あてたてが出来ねエくれエ大きな門だ」
喜六「門の大きい小さいを云うたのじゃない。アノ日の御門のある紫宸殿ししんでんのお砂を持ってきて狸憑きや、えらいおこり
(一定の周期で発熱し,悪寒やふるえのおこる病気。マラリア性の熱病の昔の名称。わらわやみ。おこりやみ。[季]夏 by 大辞林)振るう人の頭へ載せたらすぐに落ちるわ」
江戸者「ヘエ、そりゃァえらいな、けれども江戸の御本丸の玄関先の石を一つ盗んで来てみねえ」
喜六「瘧落ちますか」
江戸者「首が落ちらァ」

 五代古今亭志ん生は御本丸ではなく白州の砂利としてました。
 圓喬の前、1894年(明治27年)の百花園に載った三代春風亭柳枝の速記『京阪土産の下』(およく)ではこの部分はなく、祇園祭の山鉾やまぼこを取り入れたクスグリが出て来ます。引用します。

 

 

熊(江戸者)「アヽ来た来た。妙な姿なりをして来やァがった。ありゃァ何でございます」
佐兵衛(上方者)「関東で云う芸子、こっちゃで云う火方じかた
地方じかた:京都で三味線や歌を担当する芸妓のこと)さんでおす」
熊「のぼりを担いで笠をかぶって、丸で石見いわみ銀山が夕立に逢ったような風をしておりますなァ。恐ろしいせいが高うございますねえ」
佐「あれが評判の祇園祭の山鉾、薙刀鉾なぎなたぼこ、錦鉾、観光鉾」
熊「珍鉾ちんぼこ
佐「そのようなものはありゃァおまへん」

 三代柳枝が珍鉾ですよ、珍鉾!!!(失礼しました~)
 このクスグリは圓喬の速記にもありますが、かなり詳細に述べておりますので、長くなりますがそちらも引用いたします。

 

 

江戸者「オイ向こうの横丁から幟を担いで、裁付たっつけ裁着袴たっつけばかま:男子袴の一。膝から下を細く仕立てたもの。活動に便利なため,江戸中期から武士が旅行・調練などに用い,また奉公人・行商人が用いた。現在は相撲の呼び出しなどが用いている。伊賀袴。by 大辞林)穿はいいて大勢で出て来たのは何だ」
喜六「あれは最善あんたの云うた関東でいう仕事師どすエ(圓喬はこの前段で関東の仕事師のいなせななりについて、かなり詳しく江戸者に述べさせております)」
江戸者「ヘエー、こっちじゃァ何というんで」
喜六「火方もうろくや」
江戸者「オヤオヤもうろくか、幟を担いで岩見銀山数珠繋ぎというような形だなァ」
喜六「しようもないこと云いなはんな」
江戸者「向こうへ来た棒見たようなものは何だ」
喜六「鉾や、アノ上へ差いて乗ってる薙刀は三条の小鍛冶宗近
(平安中期の刀工。京三条に住み三条小鍛冶と称された。河内生まれとも伝える。優美な太刀姿で名高いが,作品は少なく伝説に彩られた刀工。名物三日月宗近が著名。生没年未詳。by 大辞林)はんが、三十七日大行たいこうしはって鍛えた薙刀、そやさかい三尺上を鳥が飛ぶと翼が落ちる、えらい薙刀どす。そやけれども、それは今出ておんへんの」
江戸者「出ておんへんものを云ったってしようがねえ」
喜六「まるで無いことはおまへん、薙刀鉾のちょうへ行くと袋入りにして戴かせる。そやけれど今練っている薙刀だって近江のなにがしとて名作物や。アノ鉾が寺町筋へ来ると、祇園さんの旅所たびしょの前の町跨ぎの七五三しめ縄がプツンと切れる」
江戸者「自然ひとりでにか」
喜六「そうやない。鎌で七五三縄を切るんで」
江戸者「何だってそんな真似をするんだ」
喜六「後の鉾が練り出されんから」
江戸者「ヘエー」
喜六「アノ前に下がっている緞帳は森の蘭丸さんが蘭奢待らんじゃたい
(正倉院宝物の黄熟香 (おうじゅくこう)。聖武天皇の代に中国から伝わったという名香。蘭奢待の文字の中に「東大寺」の三字を含むというが命名の事情は不明。長さ約1.5メートル,重さ約13キログラム。足利義政・織田信長・徳川家康が勅許を得て切り取ったといわれる。by 大辞林)を炊き詰めなすった緞帳です」
江戸者「何だ、信長時代の切布かなを振り回して喜ぶのかい。江戸の祭りは一万両が二万両掛かったものでも翌年用いない。叩き壊してどぶの中へ放り込んでしまう。森の蘭丸だか何だか知らねえが、汚ねえ切布が良いんなら、江戸の柳原へ行ってみねえ、コテコテぶら下がってる。アノ前に何か振り回しているのは何だ」
喜六「あれは采取ざいとり、アノ采の取りようが悪いと、鉾がよう動かんどすエ」
江戸者「あれは何という鉾だ」
喜六「一番いっち先なのが今いう薙刀鉾どすエ」
江戸者「その次のは」
喜六「諫鼓鉾かんこほこや」
江戸者「その次は」
喜六「月鉾や」
江戸者「蒲鉾や」
喜六「置きなはれ、そないな事いわんと、祇園さんを参詣しよう……」

 柳枝の珍鉾に対し圓喬は蒲鉾です。あたくしが浅慮するに、噺家として開花させてくれた上方に対しあまりに無礼なクスグリを避けたのではないでしょうか?
 さて、圓喬のサゲは、通常『およく』は欲深き芸者の源氏名は「およく」となりますが圓喬と柳枝は亀吉としてます。この芸者が客の商売を聞いて何のかんのと商売物をねだるのです。引用します。

 

 

亀吉「あんた江戸どすエ」
江戸者「何をいってやがる、猫なで声を出しやァがって、俺は江戸だ」
亀吉「東か」
江戸者「蹴倒すぜ、ヒガシ
(干菓子のしゃれ)だの蒸し菓子だのってひとを甘く見やがって……」
亀吉「関東一番いっち好きや。何やら言うことが淡泊さっぱりしてすべこい」
江戸者「何を言いやがるんだか、てめえの言うことは分からねえ。祇園町の芸者をへその緒切って今日初めて見たが、座敷へ出るが早いか、座り込みやがって、三味線さみせんも見せもしねえで客の住所ところと商売を聞いて物をねだりやァがる唐変木め。実は江戸を三人で立って来たが、こっちが体が悪かったんで、二人の連れは金比羅へ回って先へけえってしまった。後に残ってこの喜六さんと源兵衛さんのうちが少しの身寄りで厄介になってるが、こう見えても一文無しのおあにいさんだ。銭金はなくっても、人に物をねだられて、へえそんなものがございますか、今度届けてやろうなんて、ソンナけちな兄さんじゃァねえ。また商売を聞いて何も物をねだらねえでも、欲しいと思う物があったら、お前さんは江戸の御方なら私はこういう物が欲しうございますと、なぜ品物で言わねえ。ここになけりゃァ取り寄せても遣るじゃァねえか。ナア鴨川の水も好いが江戸の水道の水が飲んで見てえと言やァ、遠いといっても百三十里、次第によりゃァ金のといを掛けても取り寄せてやる。また江戸の名物の何が欲しいとか、竺仙の浴衣
(圓喬は竺仙の大旦那を『鰍沢』のマクラで登場させてます)が良いとか、香取屋(これも『朧の梅若(梅若禮󠄃三郎)』に登場します)の下駄とか六門屋の下駄が良いとか、火事は江戸の名物だ、火事の佃煮を食って見てえとか、何でも言やァ送ってやる。どんな物でも品物でねだんねえ」
亀吉「そやけれどもあんたの商売は何どすエ」
江戸者「商売は構わねえから品物でねだれってんだ」
亀吉「そやけれどもあんたの商売は何どすエ」
江戸者「俺の商売を聞いて驚くな。俺の商売はな、死人が種だ。松薪まつまきをポッポと焚いて置いて死んだ者をグスリグスリ突っ込んで焼くのが商売だ。おらァ隠亡おんぼうだよ」
亀吉「オーえー……」
江戸者「イヤも糞もあるものか」
喜六「ヨーヨーえらいことを言いよったな。隠亡とは気付かんぜヨーヨーヨー関東関東」
亀吉「あんたほんまに隠亡はんや」
江戸者「グヅグヅ言いやァがるとヲンボ焼いて押っ付けるぜ」
喜六「ヨーヨー」
亀吉「ほんまにあんた隠亡はんなら、わたい御無心があるどすエ」
江戸者「ソラ御出なすった。隠亡に何の無心があるんだ」
亀吉「もしもわたいが死んだ時に只焼いておくれんか」

 柳枝も同じサゲですが、圓喬程やりとりを長くしておりません。ごくアッサリとサゲてます。
 おんぼう(隠坊・隠亡・御坊)が賤民を侮蔑した用語との認識があるので、現代では映像や音源に残したり放送に乗せることは難しいかもしれません。かろうじて『目黒の秋刀魚』のようなおんぼう焼きがギリギリのラインでしょうか? あたくしは堂々と使えば良いと思うのですが……。



京都祇園祭礼 二代歌川広重 1915年


※本文中には、今日では不適切とみられる用語や、固定観念や偏見に基づく表現が見られますが、作品の時代背景、および作者・演者がすでに故人であることを鑑み、底本のママとしました。それらのいわれなき禁止用語が作品の歴史的価値、文学的価値を損なうものではないと考えております。