別題は多く『京見物』『京阪土産の下』などが速記に残ります。 四代圓喬の速記は、1907年(明治40年)「研究会員落語あわせ」として出版されました。この二年前に発足した落語研究会で好評だった演目を岡鬼太郎が纏めたものです。速記は今村次郎です。演題は祇園會、演者は三遊亭圓喬としてあります。
圓喬の十八番、上方言葉(京言葉)と江戸言葉の掛け合いが出てまいります。 圓喬のサゲは、隠亡(1.死者の火葬・埋葬の世話をし、墓所を守ることを業とした人。江戸時代、賤民身分扱いとされ、差別された。おんぼ。おんぼうやき。2.遊里で,遣り手の異名)に対して「私が死んだときに只で焼いておくれ」という『およく』と呼ばれるものですが、現在では賤民をさす隠亡が差別用語(自主規制)なので、多くの噺家は「白州の砂を掴んでみろ」……「首が落ちるんだ」でサゲてるようです。この解説に出て来た「おんぼうやき」は『目黒の秋刀魚』で「秋刀魚のおんぼう焼き」として、また『らくだ』では「落合のおんぼう」を出す噺家もあるようです。
圓喬はこの噺の途中に「首が落ちるんだ」をクスグリとして登場させてます。その場面を紹介します。
五代古今亭志ん生は御本丸ではなく白州の砂利としてました。
圓喬の前、1894年(明治27年)の百花園に載った三代春風亭柳枝の速記『京阪土産の下』(およく)ではこの部分はなく、祇園祭の山鉾を取り入れたクスグリが出て来ます。引用します。
三代柳枝が珍鉾ですよ、珍鉾!!!(失礼しました~)
このクスグリは圓喬の速記にもありますが、かなり詳細に述べておりますので、長くなりますがそちらも引用いたします。
柳枝の珍鉾に対し圓喬は蒲鉾です。あたくしが浅慮するに、噺家として開花させてくれた上方に対しあまりに無礼なクスグリを避けたのではないでしょうか?
さて、圓喬のサゲは、通常『およく』は欲深き芸者の源氏名は「およく」となりますが圓喬と柳枝は亀吉としてます。この芸者が客の商売を聞いて何のかんのと商売物をねだるのです。引用します。
柳枝も同じサゲですが、圓喬程やりとりを長くしておりません。ごくアッサリとサゲてます。
おんぼう(隠坊・隠亡・御坊)が賤民を侮蔑した用語との認識があるので、現代では映像や音源に残したり放送に乗せることは難しいかもしれません。かろうじて『目黒の秋刀魚』のようなおんぼう焼きがギリギリのラインでしょうか? あたくしは堂々と使えば良いと思うのですが……。
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京都祇園祭礼 二代歌川広重 1915年
※本文中には、今日では不適切とみられる用語や、固定観念や偏見に基づく表現が見られますが、作品の時代背景、および作者・演者がすでに故人であることを鑑み、底本のママとしました。それらのいわれなき禁止用語が作品の歴史的価値、文学的価値を損なうものではないと考えております。