橘家圓喬が1894年(明治27年)の「百花園」に残したこの噺、絶滅したものと思っておりましたが、たま~~にお目にかかれる噺となりました。
まずは圓喬の速記から少々長めにあらすじを書きます。
松の木に縛られるくだりは、歌舞伎にもあります新内清元の「明烏花濡衣」で花魁浦里を遣り手が責める場面の流用です。
その場面から生き返るまで、圓喬の流れるような描写はそのまま引用しました。
おわかりのように朝友は登場しますが、「あさとも」は一言も出て来ません。圓喬の速記でも「百花園」掲載時の演題には「あさとも」のふりがながありますが、本文は「ともふさ」です。後に復刻された時は演題のふりがなも「ともふさ」に訂正されておりました。
最近では桃月庵白酒も「朝友(ともふさ)」としてあります。
この噺は落語以ので変わったところでは、宝塚歌劇団星組により舞台公演されました。
宝塚歌劇団は『朝友』の他に『地獄八景』や『死ぬなら今』から題材をちりばめ抱腹絶倒の落語ミュージカルに仕上げました。あたくしはDVDを持ってます。(^^)
圓喬ではなく二代三遊亭圓橘(佐藤 三吉)の速記(明治38年「文芸倶楽部」)ですが『朝友』のマクラに『死ぬなら今』を振っております。
この噺、不勉強なあたくしがあれやこれや解説するよりも、民俗学者でもあった佛教大学教授の関山和夫が詳しく解説しておりますので、次回はそちらを紹介いたします。