圓喬はこの『刀屋』を速記の他に大阪での口演記録を残しております。その時の新聞記事では演題が『木場の心中』となっております。1911年(明治44年)6月10日、大阪の中座での高座記録です。この中座公演を含め、8月の名古屋までが圓喬最後の地方巡業となりました。この巡業で圓喬は色々な騒動に巻き込まれるのですが、それは機会を改めたいと思います。

 まずは簡単に一般的なあらすじです。

おせつが婿を取り今日が婚礼の日と知った徳三郎は無理心中をしようと、刀を買いに来て店の主人に見抜かれる。徳三郎に三年前に勘当した道楽息子の影を見た刀屋の主人から心得違いを諭される。
 その時おせつが婚礼の席から逃げ出して、今探している所だという騒ぎが起きる。これを聞いた徳三郎は表へ飛び出して行く。
 おせつの親類が深川にいることを思い出して深川へ向かった徳三郎は、雨模様の闇夜でぶつかった人が、なんと花嫁姿のおせつ。もはや一緒に死ぬしか道はないと心中となり、南無妙法蓮華経と法華のお題目をとなえて川へ飛び込むとここは名にし負う深川の木場。下は一面の筏で、二人はその上にドカンと落ちた。
「徳や、死ねないね」
「ア~今のお題目(材木)で助かった」

 

 このサゲですが、演者によって言う人物が違います。源流である柳枝のものはおせつの父親、『花見小僧』で出て来た大旦那が言います。六代圓生もこの型を踏襲してます。圓喬は大旦那ではなく徳三郎に言わせてます。
 変わったところでは、このサゲの直前のクスグリを柳枝の速記から抜き出します。

 

おせつ「徳やどうしたら死ねるだろう」
徳三郎「水ゥ飲まなくッちァ死ねない」
おせつ「少ししゃくッてお上ンな」

 

 ここで落とす噺家もおります。古くは六代桂文治、少し前ですと十代金原亭馬生(美濃部 清)がそうです。これは圓生が言うようにサゲとしては少し弱いと思うのですが、「お題目で助かった」という『鰍沢』と同じになるのを避ける意味と、大家のお嬢様らしい微笑ましいサゲとしたのでしょう。
 ちなみに十代馬生は八代桂文治(山路 梅吉)から教わりました。
 圓喬はこの「お題目で助かった」とサゲてますが『鰍沢』のサゲを「たった一本のお題目で助かった」と「一本」を加えております。その前の場面で一本という言葉を伏線的に用いた上手いサゲだと思います。こちらは圓喬から三遊一朝に伝わってます。

 圓生全集飯島友治との対談で『刀屋』の難しさについて触れてますので引用させていただきます。

 

 

飯島「この噺の演出では、どこがいちばん骨が折れますか」
圓生「だいたいむずかしい噺ですが、徳三郎の若さが出なければなりませんし、大店育ちですから、品も悪くちゃいけない、手代といったところなんですね。それから、刀屋の主人ですが、江戸ッ子で人をくったところがある」
飯島「とにかく刀屋は侍相手の商売なので、ある程度は言葉と礼儀がよくなければいけませんが、といって徳三郎みたいなお店者を相手の場合は、上品に構えていられない訳で、そのへんのやりとりヽヽヽヽは、むずかしいところでしょう」
圓生「えゝ、人情噺になりますね。笑いの少ない噺ですから、むずかしうございます」

 圓生が難しいといった徳三郎や刀屋の主人を圓喬はどのように工夫したのでしょうか? それらを含めて紹介しましょう。

 まずは前段『花見小僧』のお仕舞いからこの『刀屋』への繋ぎは次のようになっております。

 

 

結局徳三郎は何と付かずいとまということになりました。ところがこの徳三郎、他に身寄りもございません。たった一人の銀町しろがねちょうの義理ある叔父の所へ預けられました……。
○「コレコレ何だ、人様の前へ掃き出して……どうぞ御免なすって下さいまし。子どもでございますから、どうぞご勘弁を願います」
徳「ナニよろしうございます。こちらは刀屋さんでございますか」
○「ヘエ左様でございます」
「どうぞ刀を一つお見せなすって下さい」

 この部分を最初に読みました時には気づきませんでした。徳三郎が預けられた家で「今日はお店のおせつさんの婚礼だから……云々」という場面をバッサリカットしてます。この先、刀屋の主人に婚礼ということを説明しますので、重複を避ける意味もあったのでしょう。
 いきなり刀屋の場面に転換しています。そして刀屋を訪れた男が徳三郎ということも明かしてません。速記だとカギ括弧の前に”徳”とあり徳三郎だと分かるのですが、実際に聴いている客には分かりません。この男が誰であるかも、刀屋を求める理由も、この時点では分からないのです。それがこの先だんだんと明らかになっていって……、圓喬独自だとは思いますが、大変に面白い演出です。
 圓生は圓喬の速記は読んでいないようですが、もし読んでいたならば、これを参考にどのような演出をしたのか、無い物ねだりをしてしまいます。


 最初は丁寧に接していた刀屋の主人ですが、見せた刀の値は本金二枚、これは高いと男(徳三郎)が人を斬れる安い刀を……、と言ったあたりから言葉が変わってきます。女房に茶を入れろと言っていたのが、「オイばあさん、茶を入れるのを見合わせな」と少々伝法な言い方になります。 ちなみに、この本金二枚ですが、本金=大判で一枚七両二分、従って二枚で十五両です。この言い方は志ん朝も『刀屋』で使ってました。

 

 

 事情を聴くと、奉公している店の主人に付いて山道を歩く時、山賊などに出会ったら斬ります。と刀屋の主人にはみえみえの嘘。店にやってきた時の、唇の色まで変わって体もブルブル震えていた様子から、大方惚れた女が寝返って男が立たないからその女を斬って自分も死のうって心得違いだろうと刀屋はお見通し。年を聞くと二十三、三年前に勘当したせがれと同い年。思い詰めないで気をユックリ持って考えなさいと諭すと、男(徳三郎)は涙ながらに語り始めます。ここでばあさんにお茶を入れ直させる憎い演出です。
 男はまだ恥ずかしさがあるのか、友達の話として刀屋に事情を話します。

徳「私の朋友ともだちでございます……」
○「なるほど、御朋友……」
「脇に奉公している者がございます」
「はるほど、まだご主人持ちで……」
「ところがその男がね」
「ウム」
「主人の娘とちょっと成ったので」
「何が成りました」
「イエ出来ました」
「出来た……、アア若いもんだから脂ぎって何か腫物できものでも……」
「腫物じゃアありません。分かりませんか」
「分かりませんな」
密通くっついたんで」
「アアそれは好くない。どうもご主人の娘をそそのかすというのは好くない。フーン」
「それでそのことが知れたんで、その男はいとまになりました」
「ウム、ご主人は目が高い、なるほど」
「ところがその男に一応の沙汰もなく、今夜娘のところへ婿が来るんで」
「ハア今晩、婚礼だな」
「ヘエ」
「その娘さんは得心かな」
「左様でございましょう」
「えらいね、感心だ……。ばあさん、人間が利口になったね。お前や俺たちの若い時分には先の男の済むの済まないの、死ぬの生きるの、駆け落ちをするといったもんだが、アー親の許さぬ不義悪戯をしたのは好くない。お若いから一時の心得違いをしても、親御のお仕込みが良いから、過って改たむるに憚ること勿れということを知って居なさるから、親に宛がわれる婿を取って親に安心をさせようというのは実に利口の娘さんだ、えらいねえ、あなたの御朋友おともだちは影ながら聞いて喜びましたか」

 

 なるほど、圓生が話したように「江戸ッ子で人をくったところがある」刀屋の主人ですね。この人をくった会話をクサくならずに演るのはなまなかな腕では出来ますまい、と圓生風に言ってみます。(^^) 「御朋友は影ながら聞いて喜びましたか」という刀屋の主人の問いかけに徳三郎は何と答えるのでしょうか?
 長くなりましたのでいったん切ります。次回は『おせつ徳三郎』最終回になります。