おせつ徳三郎』、極々一般的なあらすじを極々簡単に記します。まずは花見小僧部分からです。

 

娘のおせつと、奉公人の徳三郎が深い仲になっていることを知った大店の主。
花見のお供をした小僧から、藪入りを飴とし、モグサをムチとして、あの手この手で詳細を聞き出すことに成功する。
怒った旦那は奉公人徳三郎に暇を出すことになる。

 

 旦那が小僧から聞き出すあの手この手が聴き所、笑い所でしょうか?
 年に2回の藪入りを月に2回にしてやるとか、ほかの小僧に内緒で小遣いも多くやろうなの甘言でつり、早く言わないと物忘れのツボにきゅうを据えと脅しもします。この旦那と小僧のやりとりが笑い処でしょう。
 この旦那が娘おせつと徳三郎の中が怪しいと疑う場面ですが、いくつかの型があるようです。

 

  1. 番頭からのご注進
  2. 湯屋での噂話 → 番頭に尋ねる → 番頭が二人の仲を報告する
  3. 近所の人の噂 → 番頭は承知していない

 

 いずれもこの後に小僧との場面になるのですが、旦那にご注進する番頭がどうも無能に見えてしようがありません。『百年目』の番頭ほど下の者に厳しく、とまでは言いませんが、番頭であればちっとは考えた行動をしろよ! と言いたくなります。
 また、二人の仲を承知していないという演出もいかがなものでしょう。
 未だにいくつかの型があるのも演者が、これは! という演出が見つからないからでしょうか?
 それはともかく、後半の『刀屋』と比べて比較的クスグリも入れやすく面白みのある噺です。
 ちなみに圓喬の『おせつ徳三郎』(花見小僧)はの型です。

 ここで圓喬の特徴的な演出に触れてきましょう。
 旨い菓子を貰ったので一緒に食べようと番頭を呼びます。そしてお湯を沸かしているうちに、商売の話から娘おせつが見合いを40人も断り続け、そのうち縁が出来るだろうと思っていたところ、店の徳三郎と出来ているようだと近所の噂になっている、と番頭どんに訪ねます。
 ここで旦那は「サア、お茶が入った。お菓子をお上がり。これはちょっと食べられるよ」と冒頭の菓子の話題を入れます。なかなかに憎い演出だと思うのです。
 番頭はそのような話は耳にしていないがお嬢さんに限って……。手前も気をつけてそういうことが耳に入ったら申し上げます。
 番頭の帰りしなに旦那は、去年花見の供をした小僧の長松を呼んでくれと申し付けます。長松は使いに出ているのなら、帰ったらよこしてくれと番頭に念を押します。
 長松が来る前に、旦那は女中のお竹に引き出しから、印肉を拵えようと取っておいた艾袋もぐさぶくろを出させ、線香へ火をつけて準備を整えます。
 印肉を作るのに艾を使うとは初めて知りました。調べたら今でも高級な印肉は「最高級国産艾使用」を謳っております。数千円から数万円とお高いですが、やがては消えゆく運命でしょうか?

 そしておせつと徳三郎の仲を聞き出そうとする旦那となんとかとぼけようとする小僧長松とのバトルが始まります。(^^)
 年に2回の藪入りを月に2回にしてやろうと言ったり、忘れたのなら足に灸を据えてやると脅したりどちらもあの手この手の攻防です。
 この場面では圓喬の速記にしか見られない演出があります。その部分を抜き書きします。

 

旦那「思い出さないなこの野郎。それが為にここに艾と線香がある。足を出せ、逃げるな、思い出すように灸を据えてやる。子どもの耄碌は灸が一番だ。足のつま先から頭の天辺まで所嫌わずドシドシ据えてやる。そればかりでない、年に2度の藪入やどおり(「藪入」と書いて「やどおり」の振り仮名があります)も一日しきゃ出さない辛そう思え。サア思い出すまで据えるから足を出せ」
長松「どうぞ御免なすっておくんなさい……」
「謝るには及ばない足を出せ」
「どうぞ御免なすって……、冗談じゃない、小僧は藪入やどおりを楽しみに奉公しているんだ。こうやっていたって、藪入やどおりばかりを楽しみにしているんで、ヘエ。兄弟二人あるけれども、兄貴の方は髪結床へ奉公に遣ってあるから、十七日でなければ来られねえ。お前は十六日だ。たった一日違いで兄弟が顔を合わせることが出来ないから、誠にすまないけれども、旦那様へ今度願って、十七日にして貰うように願えるなら、番頭さんから願って貰えということを、親父おやじがそ言ってました。その藪入やどおりに行かれない位なら、死んじまった方が宜いや。フン、笑かしやァがる」
「何だ、笑かしやァがるとは。泣きながら悪態を吐きやがってけしからん奴だ」

(以下略)

 

 藪入りの描写は時流落語に改変した圓遊と禽語楼小さんの速記にはありませんが、本流の三代柳枝の速記にはあります。ただし、小僧の兄が髪結床へ奉公して……、のくだりは圓喬だけです。他の小僧たちが藪入りで髪をきれいにするため、髪結床の小僧さんは十六日は忙しく、一日遅れの藪入りなのでしょう。面白い描写ですね。

 この後は、三囲みめぐり稲荷ならぬ四囲稲荷というお馴染みのクスグリが入り、桜餅を買う店で圓喬らしいクスグリが入ります。そこから『花見小僧』の仕舞いまで記します。

 

長松「お嬢さんがお金を出して、お店や奥へお土産にするんだから、アノ桜餅を買っておいで、土手ですか、あれは言問というお団子屋だから、アノ向こうの長命丸寺ちょうめいがんじへ行っておいで……」
旦那「長命丸寺という奴があるか、長命寺だ」

(蛇足注:長命丸は江戸両国の四つ目屋で売った強精・催淫剤のこと)
「アア赤い門のお寺だ。あなたご存じで……」
「知らねえ奴があるものか。よく名代の元祖だのというが、元祖の桜餅というは長命寺だということで、アノ浅黄桜の葉を拾って門番が、その葉へ包んだのが桜餅の始まりだというな」
「何所にございます」
「門を入って右ッ手にある。その下に十返舎一九
(蛇足注:念のために記しますと「じゅっぺんしゃいっく」ではありませぬぞ「じっぺんしゃいっく」なのですよ。三十石も同様に「さんじゅっこく」ではなく「さんじっこく」です)の碑がある「ないそんが腎虚を我は願ふなり、そは百年も生き延びし上」(蛇足注:現在この碑は経年劣化でありません、と柳家小ゑんさんが呟いてました)奥に蕉翁おきなの碑がある「いざさらば雪見にころぶところまで」というこれは名代の句だ」
「それから」
「名物だからあすこへ行って食わないと旨くはないがなんだか物足りない心持ちがする」
「それから」
「茶は良いのを飲ませるな」
「それから」
「それでお仕舞いだ」
「お仕舞いというのは物を忘れたな、サア足を出せ」
「あべこべだこの野郎、それからどうした」
「またこっちへ移った。それから桜餅を買って急いで帰って参りました。そうしたらお嬢さんも徳どんも居ないで、乳母ばあやァ一人でお酒を飲んでるから、お嬢さんはどうしましたと聞いたら、大変なことが出来た、急にお癪が起って、徳どんが今押しているてンで、それじゃァ徳どんがくたびれたろうから代わりましょうと言ったら、お前が行って良いくらいならあたしが行く。こうやってお嬢さんがご馳走して下さるのは、どういう訳だか知ってるかと言うから、何だか知りませんというと、このお癪は徳どん一人で良いんだからお前などはそばへ行ってはいけないよと、あたくしの背中をパタリと叩いた時にあたくしはハハアと考えた」
「なんだ生意気な」
「それから、じゃあ遊んできますと言って庭へ出ると向こうに離れた座敷が一つあります」
「なるほど」
「ここに庭下駄が二足あるんでございます。どんなお客が居るかと思って障子の穴から覗いて見たら屏風が立っていて誰だか分かりません。けれども中でお嬢さんのような声で”徳、お前私をお嬢さん、お嬢さんというね” ”それだってお嬢さんに相違ないからお嬢さんと言います” ”だって誰も居なかったら、後生だからこれから私の名前を呼び捨てにしておくれ” って……」
「けしからんなどうも……」
「それから……」
「モーいい」
「それから」
「いいと言ったらいい。よくべらべらしゃべる奴だ」
「だってあなたが言えと仰るから話したんで……」
「なぜ主人にを返す
(蛇足注:唾を返す=目上の者に言い返す。口答えをする)。どうもしゃべりが過ぎる。他へ行ってそんなことを言うな」
「ヘエ、どこへ行ったってそんなこといやァしません」
「そんならいいから店へ行け……、いいから店へ行けよ」
「デ、前々ぜんぜんの約束はどうなります」
「何だ前々の約束とは」
「月に二度ずつの藪入やどおり
「そんな事を知るものか」
「そりゃ困ります。知るもんかはどうも酷い、オイ」
「オイとはなんだ、主人をつかまえて……。コレコレ店へ行ったら番頭をよこしなさい」

 

 酷い主人があったもの。番頭と相談をしましたが良い知恵がでません。結局徳三郎はいとまということになり、ただ一人の身寄り、白銀町の叔父のところに預けるられます。
 ここまでが『おせつ徳三郎』の(上)、『花見小僧』になります。
 圓喬はこのおせつの話し方に悩んでいたようで、「きれいな娘の話し方が出来ない」とこぼしたようです。きれいな娘の話し方って……、どんなんだろう? (^^)
 そのせいかどうか、この後の(下)刀屋』はよく高座に掛けていたようですが、『花見小僧』はほとんど演りませんでした。そういえば圓生(柏木)もそうですね。圓生全集や百席には『刀屋』だけです。

 次はその『刀屋』を紹介いたします。

喜多川歌麿『三囲神社の御開帳 向島の花見』