この三題噺も1903年(明治36年)「文芸界」に掲載されました。ほかと同じくその場でお題が出され圓喬が即興で拵えました。少々長いマクラを振ってその間に筋立てを考えていたようですね。

ふるかわ‐いちべえ【古河市兵衛】 ‥カハ‥ヱ
実業家。京都生れ。小野組に入り生糸貿易で敏腕をふるい、のち足尾銅山などの払下げを受け、古河財閥を築く。(1832~1903)
→ふるかわ【古河】

広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店

 この年の4月に亡くなっていますので、タイムリーなお題なのでしょう。実際圓喬も噺の中で「この間亡くなった古河さん」と言っております。
 先に触れた長いマクラですが、これが素晴らしいのですよ。圓喬が幼い頃、師匠圓朝の供をして寄席に行っていた時分の話ですので、明治五年前後の頃の寄席と明治三十六年当時の比較です。ここまで詳しい描写は読んだことがありません。大変貴重なものだと思いますので、マクラ全文を掲載いたします。

 

 エエしばらく文芸界にも音絶えまして余り顔を出しませんでしたが、また久しぶりで一つ何か演ったらよかろうと言う所で何を申上げて良いか分かりません。なるたけ今まで出ないもの、出ないものをという言うご請求ですが、どうも格別新しいというものがありません。モウただ今まで各々連中が御話を申しておりまして、それが八方にありまするので何も演ることが出来ません。デ大きに心配を致しておりました。ところが私は日々寄席で続きました御話を申上げております。
 しかるに以前と違いましてこの頃は御客様が誠に気が早く御成りになって――その昔私が幼年の頃
圓朝ししょうの供をして歩きました時分の御客様は誠に気が悠長ゆるやかで御出ででげして、真打が上がりまして私どもの師匠は別けて御話を申上げるのも長うございました。
 
圓朝ししょうの御話は上って枕話と申しまする浮世雑談うきよぞうだん、これが一時間ございました。
 この枕話が全体
落語家はなしか技倆うでで各々好きな所をここで申上げます。歌の好きな者は歌のお話、また芝居の好きな者は芝居の御噂、相撲の好きな者は相撲の話、浄瑠璃の好きな者は浄瑠璃のことを言い、また女郎買いなどの好きな者は花柳社会の御話をいたし、泥棒の好きな者というのはありません。けれどもマア何か好きなことを言いましたりいたしますが、中で私どもの師匠は主に禅学の御話、哲学めきましたことを申しまするのが幾らか坊ちゃん方にも教育おしえの為になり、極これが師匠のお値打ちでございました。そこでこれを一時間ばかり申上げて、それから本文の人情話、これが一時間ありまして合わせて二時間師匠は高座へ上っておりました。
 スルと御客様がこれをゆっくりお聴きになっても「アア面白い、モウ少し圓朝はやってくれそうなもんだ」などと言うことを仰ったが、それより長く申上げられる訳のものじゃないが、名人だから詰まり御客様の方で聴き足りない、モッと聴きたいと言う御念が出ますので、自分の師匠を手前味噌で褒めるのも可笑しな御話でげすが、前後にないと言われました名人で、それが為でもありましたろう。御客様が落ち着いて御出ででげした。
 ところが今日は私どもの方ばかりではない、あるいは義太夫または講談の席でも真打が上がると、モウ御客様が
半途なかばからバラバラお立ちになるまする。ジャアお宅に御用でもあるのかと思って御暇おいとまを告げて楽屋口から出て見ると夜店などをブラブラ素見ひやかして御出でになる。さほどお暇ならば時間しまいまで聴いて御出でになって悪かったら彼処あすこが悪い、此処ここが往けないとお小言でも仰ってくだされば良いのだが、ナカナカそうではない。と言うのは詰まり私どもの方で連中が沢山出過ぎるから起こったことで何人何人出たからモウ何時じゃないかと胸の時計に酔って仕舞って周章あわてて表へ出て時計を見て未だ早かったからと言うのであるいは素見ひやかしていらっしゃる方もあるし、また大概は前の連中が昔のように少勢でシンミリと御話を申上げないから御客様の方が心が劣ってたまたま陰気な御話だと、陰気で面白くないと仰ってお帰りになると言うのは、畢竟私どもの下手から起こったことなんです。
 そこで無理にも御客様に座っていていただこうと思っても、そういう訳で自由の権力を持っていらっしゃるからやむを得ません。それ故に余儀なく御三題をいただいて置いて、続き物を申上げたお後で演りますと申上げてこう題を取って置きますと、苦し紛れにどんな事を言うか、セメて苦しむ顔でも見てやろうなどと言う御了見で御親切なもんで座っていらっしゃる。詰まり面白いものではない、足止めの御祈祷にいただいてありまするのでげすが、そういう風にして一席やりましたのが始まりでそれからというものは替わる毎にやれやれということで、即席三題を始終申上げておる所から、文芸界の方から一つアレをやったら良かろうという御指図で、――そこでどうも自ら題を出してやると言う訳に往きませんゆえ、ただ今御社員からお題を三題いただきました。いただく間もなく直ぐにやりますので、チョイチョイまた言葉の違いやら大きに事情の違っておりまする所はただ早いだけのことで、どうぞ御勘弁を願います。

 

 明治初年頃の寄席は、何ともノンビリとしていたようですね。長い高座も一ツ町内に一軒と言われた寄席ならではでしょうか?
 圓朝の高座を英文学者で随筆家の馬場孤蝶(1869ー1940)が著書「明治の東京」(中央公論社 1942)で描写しております。

本当の大家では、圓朝は唯一度しきや聞かなかつた。体格の好い、なか/\品格のある男であつたやうに覚えてゐる。何ういふ話であつたか、それは記憶に止まつてゐないが、咄のうちで一寸教訓的な言葉が出たが、若い書生客から弥次が出たので圓朝は真ぐ調子を変へたが、それで少し話の感興が殺がれたやうに見受けられた。唯如何にも落著いた、飾り気を嫌つた、描写式──会話を余り用ひないといふ意味──の咄口であつたやうに記憶する。

(馬場孤蝶 「明治の東京」より)


圓朝の寄席ビラ 明治五年
江戸東京博物館デジタルアーカイブスより


 本編は即席三題噺にしてはお長いので、あらすじにて失礼します。
 終始男性二人の会話のみで進みます。

大阪博覧会(蛇足註:1903年・明治36年に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会)へ行ってきた男性、どこを見物してきたかと尋ねられ観光名所を披露します。
 大阪から船で金毘羅様へ帰りは多度津から上がって播磨灘見物。播州は石の宝殿・尾上の鐘、須磨で一泊して須磨寺、ここは昔前田村だったが今は村がとれて前田という名。
 菖蒲の名所と聞いて、堀切のような所と思っていたが菖蒲ではなく杜若かきつばただった。須磨寺へ向かう道は右に小高い稲葉山、行平の月見の松は良い景色。
   立ち別れ いなばの山の みねにおふる まつとし聞かば 今帰り来む
 と流された須磨でお詠みになった。
 左は鉄拐山、義経が逆落としした平家を攻めたという。小さな山だが熊谷の扇の松。武者所の陣立ちは誠に良い。須磨寺の宝物は、青葉の笛・敦盛様の幼少の時のお筆・弁慶の制札に若樹の桜、釣鐘堂の鐘はその昔安養寺の釣鐘戦争の時に弁慶が鉄の棒へ結びつけて背負って打ち鳴らした鐘だという。また敦盛の首塚、アレが本当の敦盛の墓だそうだ。須磨の保養院の脇にある敦盛様の五輪は敦盛じゃないそうで、平家の七盛をあすこへ集めて葬ったから、集めるの墓というのを誤って敦盛の墓だそう。

 上方落語『明石名所』のようですね。圓喬は『明石名所』と『兵庫舟』を繋げ『播州巡り』を速記に残しております。(まだ紹介しておりません)
 知り合いが須磨に別荘を持っていて、そちらに泊まったという話から、その知り合いに妾を周旋してくれと頼まれたと言います。
 何でも妾の条件として、

  • 交際家なので待遇おあいその出来る人
  • 若くては往けない
  • 愚図愚図した女も往けない
  • 押し出しの悪いのは嫌だ
    と言うわけで、押し出しの良く活発な待遇おあいその良い四十前後の女で、しかも上方者ではなく江戸っ子という難しいご注文。散々悩んだ末に先頃出獄した「花井のお梅」ならば良かろうと話を付けることに。
花井お梅
没年:大正5.12.14(1916)
生年:元治1(1864)
明治時代の芸者。下総国佐倉(千葉県)生まれ。本名ムメ。9歳のとき江戸日本橋吉川町の岡田常三郎の養女となり,15歳で柳橋の雛妓となった。一本立ちしてからは宇田川屋秀吉と改め,浮名を流した。明治20(1887)年実家にもどり,実父の名義で日本橋浜町に待合茶屋「酔月楼」を開業したが,実父と営業のことで意見が対立。番頭の八杉峰吉(本名峰三郎)が実父に加担してお梅追い出しをはかったことから,同年6月9日,隅田川河畔で峰吉を刺殺。無期徒刑の判決を受けた。同35年特赦により出獄。汁粉屋などを営んだが,女役者となり,芝居で自分の経歴を演じ続けた。河竹黙阿弥が「月梅薫朧夜」として歌舞伎化し,のち川口松太郎の『明治一代女』などにもとりあげられた。<参考文献>綿谷雪『近世悪女奇聞』

(関井光男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版

 先方に話をしたら、いずれ本妻にしても好いというのだが、昔の古傷や情夫わるいあしでも有っては往けないので、確かめてくれと言われている。
「一体その旦那というのは何者だい」
「ここだけの話、実はこの間亡くなった古川さんの方の重役でげす」
「古川さんというのは、古河市兵衛さんかえ」
「左様です」
「ハハア、それじゃア情夫あしを(足尾)を気にしているんだろう」

 という、これも今ならば絶賛炎上してしまうような噺ですね。情夫を「あし」と言うのは花柳界の隠語です。


読み方:あし
1.不良性を帯びたる情夫。
分類 花柳界

新修 隠語大辞典 皓星社 より

 この三題噺あたくしは好きですよ。(^^)